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2020年5月21日 (木)

密蔵院の庚申塔(大田区田園調布南)

東急多摩川線沼部駅の近く、新幹線と横須賀線の線路の南側に密蔵院がある。明楽山密蔵院といい寺号はない。創建年代は不詳だが、古くから庚申塔が多くあり、沼部の庚申として知られていたという。安政3年(1856)に大暴風雨があり堂宇が倒壊し、庚申塔群は本堂に移された。明治16年(1883)には多摩川の砂利採掘の監督の夢枕にたびたび青面金剛が立って、衆生救済のために世に出たいと訴え、この監督の病気を治したという。それがもとで人々は庚申様の御利益を信じて、明治40年(1907)には立派な庚申堂ができたという。

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この密蔵院の建っている場所は、門前が六郷用水の流れ、その200m先は現在の多摩川の土手だが、境内の後ろはいきなり10mほどの段丘になっている。そのため門前の多摩堤通りは線路の下をくぐり、裏の道は横須賀線と新幹線を高架で跨いでいる。境内に入ってすぐ右手の観音堂の脇に庚申塔が並んでいる。

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一番目立つのは極めて大きな舟型の庚申塔だが、これは新しいもの。昭和55年(1980)9月に檀家で建てたものである。石質が気になるが、これが200年くらい経ったらどれくらい形を留めているだろうかと思う。現代のものなので、調度品のように細かい造りになっている。青面金剛、二邪鬼、三猿、童子が彫られているが、あまりに現代的過ぎて全く魅力を感じないのは何故だろう。

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近くにあるのは板状駒型で青面金剛と三猿のシンプルな庚申塔。造立年は宝永6年(1709)11月で、これは既に300年を超えている。昭和44年の大田区の資料にはないので、どこかから移管されたものかもしれないと思って調べてみると、以前は現在の田園調布警察前の交差点の辺りにあったものらしく、中原街道の拡幅工事でこちらに移されたものであった。

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近くにある上の庚申塔も同じく田園調布警察前から移されたもので、中原街道が狭く、環八もない頃には、そこの辻に堂宇がありこの2体の庚申塔が祀られていたのである。こちらの庚申塔は、青面金剛、三猿の図柄だが、こちらには日月の陽刻がくっきりと描かれている。造立年は正徳3年(1713)9月で、「武刕山谷鵜木村」の銘がある。一番右には天明姓が3人並んでいるのが鵜の木らしい。

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ひときわ大きな舟型の聖観音菩薩像が庚申塔の間に立っているが、これも庚申塔である。大田区では聖観音像タイプはこれだけらしい。造立年は寛文3年(1663)12月と古く、沼辺村の銘がある。右側に「新奉造立供養意趣者庚申待台塔八人現當二世安樂処」とあり、沼辺村の8人が建立したもの。江戸時代初期のものはこのように青面金剛でないものも多い。

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そして、珍しい一猿のみの舟型庚申塔。年代は延宝2年(1674)10月である。一猿像の上には「庚申供養現當二世也」とある。よく二世とあるのは、この世とあの世という意味で、現世もあの世も幸せでありたいという願望を表している。この造立メンバーに小泉傳右衛門と小泉平左衛門という名があるが、この前を流れていた六郷用水は江戸時代はこのあたりでも小泉次太夫が開削したために次太夫堀と呼ばれていた。その小泉次太夫との関係があるのかもしれない。

密蔵院にはこれ以外にも庚申塔(地蔵)や馬頭観音があるようなので、また再訪しなければならない。

場所  大田区田園調布南24-18

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