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2020年5月28日 (木)

蓮光寺の庚申と石仏(文京区向丘)

団子坂と白山上の間の道のうち日光街道の東側の一部区画を江戸時代には「駒込四軒寺町」と呼んだ。ここには浄土宗の寺院である、光源寺、清林寺、栄松院、瑞泰寺が並んでいる。一番東にあるのが光源寺で、その角を曲がると動坂上と白山上を結ぶ「イタダキ横丁」に繋がる道だが、ちょうど光源寺の裏手に位置するのが蓮光寺である。先の四軒寺町の4寺は神田(今の大手町あたり)が御用地化する際、慶安元年(1648)に移転を強いられここに来た。

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しかし同じ浄土宗でも蓮光寺は、浄心寺と同じ湯島嬬恋坂にあったのが、明暦の大火で被災してこちらに移転した形である。江戸は大火の時だけでなくいろんな時に大名屋敷や寺を移転させている。山門をくぐると六地蔵の前後に立派な石仏が並んでいる。上の写真のいちばん手前の大きな石仏は、舟型光背型の聖観音立像で、造立年は延宝7年(1679)11月。どうやら身分の高い人の墓石らしい。

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六地蔵の先には、笠付の聖観音像があり、それも宝永5年(1708)12月造立の立派なものだが女性の墓石のようだ。そして隣が板碑型の大きな庚申塔。日月が浮彫になっていて、中央には「奉庚申待為二世安樂」とあり、下部に三猿が彫られている。造立年は寛文8年(1668)9月と初期の庚申塔である。

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その左には右から地蔵菩薩、観音(種類は私には分からない)、聖観音が並ぶ。地蔵は貞享元年(1684)のもの。中央の観音像は万治4年(1661)、右の聖観音像は寛文9年(1669)である。江戸時代初期の石仏の岩質(石質)は極めて良いものが多い。ほぼ安山岩だが、江戸城の普請に際して、伊豆や真鶴から運ばれてきた通称「小松石」と呼ばれるものが大半を占めている。そのあまりが石仏に使われているケースが非常に多い。

場所  文京区向丘2丁目38-3

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