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2020年6月 1日 (月)

天祖神社前地蔵尊(文京区本駒込)

駒込天祖神社の前に地蔵堂がある。『縁結び子育地蔵尊御縁起』という説明板が掲げられている。地元の地蔵講によって設置されたものだが、この手の説明板にありがちな、文脈に違和感のある説明である。要は、天祖神社の前に地蔵尊をお祀りした、昔から霊験あらたかと信奉されている、戦後縁結び子育地蔵尊と改称したという3点のようだ。

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地蔵堂の扁額もなかなか立派なもので、堂内には大きな地蔵と如意輪観音に加えて、小さな地蔵が2基祀られている。小さい方についてはまったく情報がないが、右側の如意輪観音像は舟型光背型で寛文11年(1671)10月の造立である。左側の舟形光背型の地蔵菩薩立像は、正徳2年(1712)5月の造立らしい。左側にある水子地蔵は昭和50年(1975)に建てられたものである。

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地蔵堂の裏手に「駒込名主屋敷」という史跡がある。東京都の指定史跡になっている。駒込の名主は高木家、慶長年間(1596~1615)に伝通院領であったこの一帯の開拓を許され、そのまま土着した。その後代々上駒込村の名主を務めたという。残っている表門は宝永年間(1704~1711)に建築されたが、火災に遭って享保2年(1717)に再建されたと伝えられる。よくもまあ戦災をくぐりぬけたものだと思う。

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駒込村は一富士二鷹三茄子で有名とされる。富士はこの少し北にある富士神社、茄子は富士神社周辺に多くの茄子畑があり名産品だったこと、そして鷹というのは、江戸時代天祖神社の南隣の駒込病院の地が鷹匠の街だったことから来ている。当時の江戸は「かねやす」までと言われ、本郷三丁目を過ぎると江戸の外と考えられていたから、この辺りは完全に郊外の農村だった。そんな時代を彷彿とさせる史跡が残っているのも本駒込の魅力だと思う。

場所  文京区本駒込3丁目40-1

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