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2020年5月 4日 (月)

東稲荷の庚申塔(大田区田園調布)

田園調布は渋沢栄一の構想をもとに五島慶太が開発した大正時代の街である。開発をサポートしたのが小林一三で、日本の経済の礎を担った人物が絡んでいる。しかしそれとて所詮100年ばかりの歴史であり、大正以前に調布村という名の農村だった田園調布の歴史はずっと古い。地学的には多摩川の河岸段丘である国分寺崖線の南端が田園調布である。現在は中原街道から1丁目、2丁目となり、田園調布駅西の高級住宅街は3丁目、国分寺崖線の縁が4丁目で、崖を下ると5丁目という住居表示割になっているが、昭和中期までは沼部辺りまでが1丁目、現在の1丁目が2丁目でその先は4丁目までしかなかったようだ。だから昭和の文献を読むときは注意が必要である。

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そんな田園調布の東南の端には田園調布警察署があるが、目の前の環八が通ったのは昭和の末期の事、それ以前の大きな道は中原街道だけで、現在の警察署のところには消防署があった。現在とはまったく異なる町割と景色があったのだが、そんな警察の裏手に小さな東稲荷神社があり、その境内の入口に庚申堂がある。元の位置は昭和の住所で田園調布3丁目42で、そこからここに移設したらしいが、元の場所の特定ができない。おそらく中原街道の辻に立っていたのだろう。

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庚申塔は角柱型で彫りの見事なもの。造立年は文化10年(1813)1月とあるので、江戸時代後期である。青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏がきれいに描かれている。世話人は、下沼部村、等々力村、鵜木山谷とあるので比較的広域だけに、やはり元の場所は中原街道と南北に交差し北へ向かうと二子道にでる村の主要道の辻に立っていたと考えるのが自然である。台石には、右面:丸子はしみち、正面:九ほんふつみち、左面:にったいけカミ、とあることからもそう確信した。

場所  大田区田園調布1丁目1-26

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