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2020年5月15日 (金)

民家裏墓所の石仏庚申(大田区多摩川)

詳細の情報なしにこの場所を見つけるのは至難である。場所があっているかの不安と、不審者と思われて通報されないかの不安を抱きながら訪問した。場所は東急多摩川線矢口渡駅の南約600mの民家と会社社屋の間。場所としては、アウディサービスセンターの裏のどこの道にも接していない土地である。道路の向かいは広い社用駐車場になっていて、その向かいのマンション敷地のような間を入っていく。

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通路を歩いていくと、マンションの1階のリビングの窓の前を歩くことになるが、奥まで行くと突然墓所になる。なぜここに墓所が残っているのかについてはまだ情報を得ていない。25m程入っていくと、正面に荒れ果てた墓地があり、マンション奥の木造家屋の先を右へ曲がり、さらに右へ曲がると完全に鍵型のどん詰まり。そこには素晴らしい石仏石塔が並んでいた。

5基の石仏があるが、一番手前(左)は高さ122㎝の舟型庚申塔。青面金剛像に邪鬼、三猿、二鶏が描かれている。造立年は延宝8年(1680)10月、施主は6名の名が刻まれ、そのうち4名が塩沢姓である。となりの笠付の石塔は墓石で宝暦2年(1752)、明和3年(1766)、天明2年(1782)の命日が書かれている。中央の小さな舟型の如意輪観音像は天和3年(1683)のもの。

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右から2番目の舟型の大きな石像は念仏供養塔で、聖観音立像である。承応3年(1654)10月の造立で、武刕荏原郡六郷内原村の銘がある。「内原村」ではなく「六郷の内の原村」である。原村はほぼ現在の大田区多摩川あたり、矢口渡駅の南側にあった30戸余りの村である。一番右の角柱型の塔は上部が折れているが、これは西国坂東秩父百番順礼成就の供養塔で、六江(六郷)之内原村5名、道塚村4名とある。享保9年(1724)のものである。

民家に囲まれた墓地は閉鎖されていることが多く、殆ど立ち入れないのだが、ここは素晴らしい石仏が多くあり、一見の価値がある。この場所の古い地図を調べたのだが、この一角は江戸時代末期は梅林だったようだ。原村の大半がこの辺りに住んでいたので、その時代の集落の墓所が今も残っているのだろう。東京23区内の知られない特別な空間である。

場所  大田区多摩川2丁目28-9

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