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2020年5月19日 (火)

花光院の石仏(大田区矢口)

大田区矢口には寺社が多い。南から、圓應寺、延命寺、十寄神社、今泉神社、花光院、氷川神社、新田神社、とひとつの町内にこれだけあるのはやはり新田義貞、新田義興と鎌倉街道の影響であろう。花光院は最も新田神社に近い寺院だが、新田神社前の鎌倉街道より西には寺社はない。実は新田神社の裏から西側は昔の多摩川の流路だったのである。下丸子の光明寺池もその名残で、緩やかにカーブをして圓應寺の西を流れていた。とはいえ江戸時代にはもうそこは多摩川ではなく湿地帯になっていたようだ。

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花光院は福田山花光院蓮花寺でもとは今泉村の寺院だが、矢口村との境にあった上に、明治22年(1889)には今泉村が矢口村に統合されてしまったので、矢口村の石仏が多い。上の写真の左端の丸彫地蔵菩薩立像は文化14年(1817)11月造立のもの。その横に並ぶ六地蔵も文化年間(1804~1818)の建立で矢口村の施主のようである。

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右端にある舟型の地蔵菩薩像は廻国供養塔で、宝永7年(1757)11月の造立。地蔵菩薩の右側には「奉納大乗妙典廻国供養 武刕六郷矢口村」とある。これも矢口村である。『新編武蔵風土記稿』でも今泉村の北西にある寺院と書いているので、なぜこのように矢口村の石仏が多いのか考えてみた。明治維新の頃の村の規模は、今泉村が34戸(193人)に対して矢口村は71戸(367人)と倍である。しかし当時の矢口村には寺がほとんどなく、その為に村境の花光院が矢口村にとって重要な寺院だったのではないかと考えたが、おそらく外れてはいないだろう。

場所  大田区矢口2丁目3-12

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