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2020年5月13日 (水)

金剛院の庚申と石仏(大田区新蒲田)

大田区新蒲田辺りは江戸時代「道塚村」であった。この辺りを総称して六郷というが、この六郷とは「八幡塚、高畑、古川、町屋、道塚、雑色」の6村があったと伝えられそこから六郷と呼ばれた。明治になって六郷の地名が復活した形だが、用水路の名前にあるように六郷というのは江戸時代以前からの地名である。道塚村は明治になってから矢口村と六郷村に分断された形になっていたが、戦前の人の動きというものは概ね小字範囲だったので、道塚の地名も残り、現在では道塚小学校の名に残る。

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金剛院は真言宗円日山金剛院で寺名はない。創建は不明とされているが、慶長年間(1596~1615)には庵があったという。本堂に向かって進むと左側が墓所になっている。本堂手前に堂宇があり、北向地蔵尊が祀られている。昭和初期まではこの北向地蔵の縁日が毎月行われていたが、戦後は無くなってしまった。舟型光背型の北向地蔵尊は天和3年(1683)10月の造立で、施主塩沢七郎右衛門の銘がある。

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本堂の左手を回り込み裏の駐車場の手前に庚申塔が並んでいる。青面金剛などではないので庚申塔とは気づかないが、上の写真の左2基は庚申塔である。左の舟型の阿弥陀如来像の右には「奉造立石佛一体為庚申供養二世安樂」とあり、左側には「小林村同行9人」とある。造立年は寛文12年(1672)3月と庚申信仰初期のもの。中央の首なし石仏も本来は同様の阿弥陀如来立像の舟型庚申塔だったが戦災で首や表面が欠損してしまった。造立年は天和2年(1682)11月で、「小林村 安方村 同行10人施主」とある。台石にはうっすらと三猿が残っている。右の角柱は「法界塔」と書かれている題目塔・供養塔の一種である。

場所  大田区新蒲田2丁目3-6

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