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2020年5月27日 (水)

光源寺の庚申塔(文京区向丘)

中山道の白山上と千駄木の団子坂を結ぶ道の中程、北側に光源寺がある。浄土宗の寺院で天昌山松翁院光源寺という。この寺で有名なのは金色に輝く駒込大観音。残念ながらこれは平成5年(1993)に再建されたもの。前の大観音は元禄10年(1697)に建立された高さ5mの十一面観音だったが、東京大空襲(1945年3月10日)で焼失してしまった。今回は下の写真の観音様はパス。

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光源寺は天正17年(1589)に神田に創建された。そして慶安元年(1648)に現在地に移転してきた。観音堂の千駄木側の一角は工事中だったがその中に巨大な庚申塔が立っていた。全高はなんと258㎝もある。アンドレ・ザ・ジャイアントよりも高い。

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この笠付の角柱型庚申塔は、文京区の指定有形民俗文化財。 造立年は明和9年(1772)9月と江戸時代中期になる。庚申信仰もやや落ち着いた時代である。青面金剛、二鶏、邪鬼、三猿の図柄で、台石にはびっしりと施主願主らの200人以上の名前が彫られている。明和9年は2月に目黒行人坂火事が起こり、夏には豪雨災害が起こって受難の年だった為、江戸の市民が復興を願って纏まったものではないだろうか。

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本堂の前に回ると、境内の脇に角柱型三猿の庚申塔がポツンと立っていた。造立年は貞享4年(1687)10月。三猿の上には「奉庚申 供養」と文字が入っている。初期型のシンプルなタイプで個人的には好きである。

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墓所に回り込み、観音堂の裏手に回り込むと上部が欠損して丸くなった庚申塔が立っていた。欠損の為もとの像形は不明だが、三猿は確認できる。また、正徳2年(1712)2月の造立年も文字が残っている。施主は「里見氏」とある。江戸時代、千駄木から駒込に向けての道は団子坂の菊人形で賑わったが、江戸の街からは少し外れた下駒込村という地域で、御用林があって狸ばやしの言い伝えも残るのどかな場所だった。今も多くの寺が残っていることで、気持ちのいい散策が出来る。

場所  文京区向丘2丁目38-22

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