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2020年5月 8日 (金)

嶺東向庚申(大田区東嶺町)

嶺の四庚申の最後は東向庚申。他の3庚申と違う点は、東向庚申だけが寺社境内にあるということ。東向庚申があるのは嶺白山神社の境内で、環状八号線を背にして東向きの堂宇に祀られている。まず思ったのは、環状八号線のこの辺りは最後に拡幅されたエリアだから、その前は違う場所にあったのではないかということ。しかし環八開通以前の地図を見ると、ほぼ同じ筋に南北の道と東西の道があり、一番角に石塔のマークがある。境内内で場所は動いているだろうが、基本昔から白山神社の境内にあったということになる。

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嶺白山神社は寛文年間(1661~1672)の創建。当初は女体権神社と称した。明治の初めに嶺白山神社と改名している。女体神社というもの、全国に約30柱ほど、北は栃木県から南は鹿児島県まで広いエリアにあるようだ。多摩川河口域には川崎側にいくつかあり、東京側はこの嶺白山神社のみ。江戸時代から江戸周辺にはここが唯一の女体神社だったということになる。しかし共通の祭神があるわけではないので、不思議な神社である。

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境内には力石などが置かれており、最近リメイクされた感がある。庚申塔の堂宇もしっかりしたもので、嶺の四庚申の中では最も豪華。黒御影石で庚申塔の由来などが書かれている。「庚申信仰は、江戸時代に民間信仰として栄え、庚申供養塔は、その象徴として村の厄災を防ぐために建てられたという。当地(旧嶺村 末廣 相生)の住民が庚申塔を建立した。 地域の人々のくらしの無事を祈る風習が現在も続いている。」とある。今もまだ庚申講は続いているのだろう。

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庚申塔は駒型、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏の図柄で、下部に願主名があり、「武刕峯村」の銘がある。造立年はその脇にあり、正徳3年(1713)11月である。この庚申塔は嶺村と雪谷村の村境に置かれたものと史料には書かれていたが、四庚申廻ってこの東向庚申は久が原村の村境、最初の南向庚申が雪ヶ谷村の村境ではないかと考えるようになった。昔の嶺村は飛地があったりして時代によって境界が違うのでどうも紛らわしい。

場所  大田区東嶺町31-1

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