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2020年5月23日 (土)

根津神社の庚申塔(文京区根津)

根津神社は1900年余り昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が千駄木の地に創建したと伝えられる古社。文明年間(1469~1487)には太田道灌が社殿を築き、江戸時代になると五代将軍綱吉の時代に現在の地に遷座した。遷座以前ここは三代家光の長男綱重の別邸で、その長子である六代将軍家宣はここで産まれた。境内には家宣の胞衣塚(えなづか)が残っている。胞衣塚については近所の天祖神社のページに書いたので参照いただきたい。

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昨今は赤い鳥居がブームということで、重要文化財の楼門や本殿よりも境内の乙女稲荷神社の千本鳥居の方が人気があるようだ。そこに胞衣塚もあるのだが誰も見向きもしない。後ろの境内の西側は標高20mの台地だが、そこから一気に10m以上落ちた崖下が境内。千本鳥居はその中腹にある。千本鳥居の北側には固められて六面幢のようになった庚申塔群が立っている。

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境内側の正面から右回りに見てみると、まずは後から笠を載せられたと思われる、本来は舟型光背型の庚申塔。造立年は寛文8年(1668)10月で青面金剛像が大きい。文京区内の青面金剛像の庚申塔としては最も古いもの。青面金剛の下には中央に御幣を持つ一猿、その脇に二鶏が描かれている。写真の下になるが台座石に三猿が描かれていたが、おそらく別ものだろうと言われている。青面金剛の左には「武州豊嶋郡江戸駒込村」の銘がある。その右側の庚申塔は、青面金剛、邪鬼、三猿の駒型とみられる庚申塔で、造立年は宝永6年(1709)。こちらには「武州豊嶌郡駒込千駄木町施主」とある。

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裏に回り込むと、次は板碑型にサイズの異なる笠を無理やり載せた庚申塔がある。文字が薄いが「奉造立庚申供養一結衆二世成就攸」と書かれており、「都嶋凍馬米村」とあるが、これは豊嶋駒込村の意味。造立年は寛永9年(1632)初春とあり、文京区では最古の庚申塔である。その右側にあるのは、上部欠損で元の形は不明だが、青面金剛像と三猿の描かれた庚申塔。造立年は延宝8年(1680)6月。

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稲荷側を向いているのは元禄5年(1692)5月造立の、これこそ笠付角柱型の庚申塔で、笠が合っているのはこれだけのようだ。青面金剛像、邪鬼、二鶏の図柄で三猿はない。その右側のものは上部がかなり欠損しており、おそらく舟型光背型だろうとは思われるが違うかもしれない。描かれているのは聖観音菩薩立像で、その右に「〇〇待庚申供養」とあるので庚申塔とわかる。これら6基の庚申塔は昔は別々の場所にあったものをいつからかここに纏めたものだが、出処は不明である。

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庚申塔の後ろにある塞ノ神塔はずっと新しく、明治6年(1873)9月のもの。自然石で中央に大きく「塞大神」とあるが、これは駒込追分の路傍にあったものというが、駒込追分という地名は江戸時代から明治時代のもので、大正期辺りからは本郷区になったので本郷追分と呼ばれた。日光街道と中山道の分岐点でもあるこの歴史的な交差点には現在は名前はない。不思議である。明治42年(1910)に道路拡幅のためにここに移転を余儀なくされたというが、江戸時代北からの脅威を守るために、徳川が信頼している前田家の本郷屋敷を置き街道の監視をさせたという地だけに、力のありそうな塞ノ神である。

場所  文京区根津1丁目28-9

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