« 嶺西向庚申(大田区西嶺町) | トップページ | 嶺東向庚申(大田区東嶺町) »

2020年5月 7日 (木)

嶺北向庚申(大田区鵜の木)

嶺の西向庚申からしばらく六郷用水沿いに下ると、道は左にカーブして上り坂になる。そのまま坂を上っていくと左に墓苑がある。西嶺浄苑という墓苑である。東半分は観蔵院の墓所だが、西半分は民間業者の墓所で、墓の並びが異なる。私は寺の境内の墓を購入したが、心のどこかに仏(仏教)への信頼(信心)があったのかもしれない。この上り坂は実は多摩川の河岸段丘なのだが、この先で環八に向かってなぜか下っている。その先は今度は再び上りになって荏原台地になる。歩き回って気づいたのは、この細長い丘は多摩川の自然堤防に違いないということだった。この自然堤防の突端は光明寺である。

Cimg4388

その墓所の向かい、自然堤防の頂上にあるのが嶺北向庚申。大きなマンションの敷地の角にあり、墓苑前からみるとコンクリートの壁でそこに「庚申塔 嶺北向庚申様」と御影石に書かれている。急な階段を上ると2つの堂宇があった。境内と言ってもいいくらい広い敷地である。左手前に無造作に置かれている手水鉢には「奉納」とあり明治37年(1904)7月と刻んである。

Cimg4393

庚申塔は駒型で、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏が描かれている。造立年は享保7年(1722)10月とあるので約300年前のもの。「武州荏原郡六江領ノ内峯邑」とあり、峯邑は嶺村である。手前には三猿のみの角柱型の庚申塔があるが、どうもこれは新しいもののようで、上部の削り方も鑿(のみ)ではなく機械的な痕跡が残っている。

Cimg4394

右の小さい方の堂宇には、左の庚申と恵右の手前にあった三猿とほぼ同じものが祀られている。これも見るからに新しい感じがする。天の削りもおそらく機械によるものだろう。しかし、嶺村では昭和の末期まで持ち回りの庚申講が行われていたというから、決してまがい物ではない。

場所  大田区鵜の木1丁目2-18

|

« 嶺西向庚申(大田区西嶺町) | トップページ | 嶺東向庚申(大田区東嶺町) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 嶺西向庚申(大田区西嶺町) | トップページ | 嶺東向庚申(大田区東嶺町) »