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2020年5月14日 (木)

大楽寺の庚申と石仏(大田区新蒲田)

大田区新蒲田の大楽寺は蒲田不動尊でも有名である。玉川八十八ヶ所霊場67番で東海三十三観音霊場12番でもある。寺の建立は諸説あるが、天応3年(1319)と伝えられ、金剛法山大楽寺で院号はない。しかし立派な寺院である。どうも徳川家との関係が深く江戸時代には随分と栄えていたようだ。それは道路からすぐの山門からもよく分かる。

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なかなか市井の寺院にこれだけの山門(楼門)は見かけない。楼門をくぐると正面に本堂があり、左手に蒲田不動尊の高いお堂がある。しかしこの蒲田不動尊は1994年の建立で平成生まれの新しいものである。本堂の右手を進むと無縁仏塔に始まり、なかなか魅力的な石仏が並んでいる。

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その中でも見事な石仏のひとつが庚申塔。貞享4年(1687)造立の駒型庚申塔で、青面金剛像に三猿、その間に二鶏が描かれている。道塚村の銘があり、同行12人とあるので、村の半分が参加したことになる。この庚申塔をじっと眺めていると、通りかかった住職(おそらく大僧正)から声をかけらた。昭和44年の大田区の編纂した資料を基に石仏を巡っていると話すと、当時区から調査をしたいので情報をくれとせっつかれたのを覚えていると仰っていた。「だから台石と石仏が入れ替わったりしてもそのまま資料として区の方に提出したところも多いから、変なのもあるでしょう」とおっしゃる。なるほど50年も前でも役所仕事というのはそういうものだったのかと、手持ちの資料の信用度を疑った方が良いかもしれないと思った次第である。

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上の写真の真ん中が庚申塔、右側は六面塔(六面幢)である。左端にあるのはひときわ大きな阿弥陀如来像で、俗にいぼとり地蔵と呼ばれる。たまにいぼとり地蔵というものがあるが、ここの地蔵はイボを取りたいときに小石を供え、その小石でイボをこするとイボが取れると信じられていた。御礼には豆をお供えするそうである。

このいぼとり地蔵の台石には蓮葉が描かれているが、この阿弥陀如来像の台石には「奉造立石佛一体庚申供養 同行拾三人 道塚村」とも書かれている。住職の話ではどうもこの台石が怪しいとのこと。台石にある造立年は寛文9年(1669)2月なので、まだ青面金剛像が主流ではない時代で、いろいろなタイプの庚申塔が各地で造られたころである。真実は分からない。

場所  大田区新蒲田3丁目4-12

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