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2020年5月 3日 (日)

智清寺の石仏・庚申(板橋区大和町)

国道17号線(中山道)と環七の交差点の立体交差は現在は「中山道陸橋」と書かれているが、以前は「大和町」という交差点名で通っていた。地下鉄の板橋本町駅が真下にあるので、板橋本町の方が知られているかもしれない。その大和町交差点の少し南南西にあるのが智清寺という寺院である。大和町という住居表示は概ね南の石神井川に向かって緩やかに下る土地。智清寺はそんな大和町の中心にある。

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山門をくぐるとすぐに石橋がある。この石橋は古いもので、正徳4年(1714)に、江戸時代から大正時代にかけて使われた中用水に架けられていたものである。中用水は農業用水として石神井川の水を取水し、板橋と下流の上十条村以下七カ村との間で水利権の争いが起こり、板橋の村民が明治5年に智清寺に立てこもりをしたという記録がある。この石橋は現在は板橋区の登録文化財になっている。

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石橋を渡り左を見ると庚申塔と六地蔵が並んでいる。庚申塔は唐破風笠付角柱型のもので、元禄3年(1690)の造立。青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏が描かれている。その右に並ぶのが3基の六地蔵。一石に二体ずつで、右は元文5年(1740)4月、左は宝暦3年(1753)1月の造立だが、中央だけは年数のところが欠損していてどうも元文6年(1741)のようだが6年は違うかもしれない。土台は後から入れ替えられたもののようである。

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その右側にも石仏が並んでいる。左から2番目の角柱は馬頭観音だが造立年は不詳。その右の小さめの地蔵も年代が分からない。屋根の下にある二基の地蔵については、左側が125㎝、右側が100㎝と大きなものだが、これらも年代は分からなかった。右側の2体については新しく、大きな台石に載っているほうが、昭和6年(1931)9月の地蔵菩薩、右端が昭和19年(1944)4月の地蔵菩薩である。

場所  板橋区大和町37-1

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