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2020年5月 6日 (水)

嶺西向庚申(大田区西嶺町)

嶺の四庚申の二番目は西向庚申。当時この庚申塔よりも西側にあったのは下沼部村。ここには六郷用水が流れていた。現在も人口の流れが造られている。嶺村では昭和中期でもまだ盛んに庚申講が行われていたという。昔は年6回、60日ごとにやってくる庚申の日に行っていたが、昭和になってからは春秋の年2回になったらしい。嶺村の庚申講は輪番制で、米2号と菜代としての金を集め、庚申の晩に持ち回りで決まっているホストの家にみんなで集合して庚申様の掛け軸を掛けてお祈りをするもの。

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集合時間は暗くなってから、一風呂浴びて身を清め、掛け軸の庚申様を拝んだのちに食卓へ。世間話に花を咲かせて夜まで村の交流を行うのが江戸後期から昭和までに共通する。江戸時代は三尸の話を本当に信じていたのか朝まで飲み騒ぎしていたが、時代と共に夜半から午後10時くらいまでと短くなっていった。嶺村では不幸があった家とお産があった家はその回の庚申は欠席することになっていた。

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堂宇に祀られているのは駒型の庚申塔。青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄だが、三猿の並びが偏っていて珍しい。この庚申塔の造立年は不詳だが、庚申塔の図柄やタイプ、嶺の四庚申の中での関係を考慮するとおそらく宝永・正徳・享保年間あたり、1700年~1720年の間のものであろう。 庚申塔、六郷用水の流れ、河岸段丘、それらが江戸時代から明治にかけての農村風景を想起させてくれる。

場所  大田区西嶺町26-12

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