ほうろく地蔵と庚申塔(文京区向丘)
本郷追分で分かれた日光街道と中山道はしばらく並行して北上する。その間にあるのが曹洞宗の大円寺。創建は慶長2年(1597)で神田柳原(現在の秋葉原駅の南側)に出来たが、慶安2年(1649)に現在地に移った。この辺りで二つの街道が平行するのは地形が東西に細い半島地形であるためで、大円寺は日光街道から数十m、中山道からも数十mの場所にある。
この寺はほうろく地蔵で有名。ほうろく地蔵は「八百屋於七」に因む地蔵尊で、天和2年(1682)に起きた天和の大火の後、火あぶりの刑になった於七の霊を供養する為に建立されたもの。享保4年(1719)に渡辺九兵衛という人が寄進している。於七の罪業を救うために、熱した焙烙(素焼きの縁の浅い土鍋)を被り、自ら焦熱の苦しみを受けた地蔵菩薩と見立てたのだろう。その後は首から上の病気の治癒にご利益があると信仰を受けている。
ほうろく地蔵には沢山の虹色に編み込まれたような千羽鶴が見事で、焙烙に見立てた素焼きの蓋のようなものが絵馬の役割を果たしている。昨今のコロナ渦でも多くの奉納があっただろう。このほうろく地蔵の前を守るように3基の庚申塔が立っている。
向かって左には2基の庚申塔がある。大きい方は駒型で青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれており、造立年は天明4年(1784)8月のもの。「建立願主 白山前 住吉屋五郎佐衛門」とある。右側の小さい方は角柱型で、こちらも青面金剛、二鶏、邪鬼、三猿の図柄。造立年は元文5年(1740)12月で、施主は当寺、金龍山大圓禅寺とある。
右側を守るのはずっと古い角柱型の庚申塔。三面に一猿が描かれたもので、上部に梵字のキリーク。造立年は延宝3年(1675)とある。 この庚申塔のように江戸時代初期のものは興味深い。元禄時代から宝永年間以降は青面金剛像が殆どになるが、それ以前は地蔵有り、聖観音あり、文字塔ありと様々なタイプがある。
場所 文京区向丘1丁目11-3
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