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2020年5月12日 (火)

遍照院の庚申と石仏(大田区多摩川)

遍照院(へんじょういん)は真言宗の寺院、光明山無量寺。寺の名前は〇〇山△△院̻▢▢寺というのが正式名というケースが多い。多くは▢▢寺というが、遍照院のように△△院で呼ばれる寺もある。有名なのは伝通院、徳川家康の母於大の方に因む寺院である。現在は環八に面しているが、環八の敷地ももとは遍照院の敷地でもっと広かった。裏の道は六郷用水の筋である。

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本堂の左手に墓所への入口があり、そこに見事な庚申塔と石仏が並んでいる。左から、庚申塔、廻国供養塔、庚申塔、念仏供養塔、庚申塔の順に並ぶ。遍照院の隣には安方神社があり、遍照院はその別当寺である。安方神社は明治22年(1889)まであった安方村の鎮守である。この辺りは安方村と小林村であったが、明治初期でも安方村の戸数は24戸、小林村が29戸と極めて小さな村だった。現在は当時の100倍の人が住んでいる。

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一番左から、駒型の庚申塔で青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている。造立年は文化5年(1808)1月で、この並びではもっとも新しいもの。安方村講中11人の銘がある。その右にあるのは六十六部廻国供養塔。造立年は正徳4年(1714)10月で上円の角柱型。「武刕荏原郡六郷之内 小林村石渡氏蓮中道阿」とある。六十六部とは、法華経の六十六部を書写して日本66か国を廻って各地の霊場に奉納する修行で、行者は厨子を背負い、鉦(カネ)をたたき、鈴を鳴らして、各家の門に立って金や米などの喜捨を受けて行脚したもの。私の子供の頃にはまだたまに見られた。

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大きな3基の石仏は、左が駒型の庚申塔。高さが118㎝ある立派なもので、造立年は延宝8年(1680)11月と古い。青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏の図柄で、正面右には「奉造立庚申供養為二世安樂」とあり、左には「武刕荏原郡六郷保内 安方村同行9人」とある。中央は念仏講の供養塔で、板碑型。造立年は承応3年(1654)9月、安方村、小林村の両方の銘がある。右の庚申塔は青面金剛ではなく阿弥陀如来立像のもの。造立年は延宝8年(1680)10月で、小林村、安方村の刑9人によるもの。

遍照院は創建年代不詳なるも、江戸時代後半の可能性が高い。これらの庚申塔、供養塔は2村に散らばっていたものをここに集めたと伝えられている。

場所  大田区多摩川1丁目5-14

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