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2020年6月21日 (日)

小袋庚申堂の石仏群(北区赤羽北)

赤羽台地の北端は荒川と新河岸川が最接近し岩淵水門で出合う。JRで北上すると赤羽駅で東北本線と埼京線に分かれるが、その股の間にあるのが赤羽八幡神社。そこから星美学園までは台地の端だが、それが新河岸川に向かって落ち込む崖線にあるのが「稲荷の坂」である。戦前はこの台地はほぼ軍の施設だった。稲荷の坂は江戸時代からある台地の上と下を結ぶ道である。

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稲荷の坂の坂下にあるのが穀蔵稲荷。江戸時代この坂下一帯の狭いエリアは袋村という小さな村だった。穀蔵稲荷の穀蔵(地元の読みかたはゴクラ)というのは江戸時代ここに村の年貢米などを保管する郷蔵があったためで、この郷蔵には災害時の蓄えもあったという。村は大袋地区と小袋地区に分かれており、ここは小袋地区の中心だったようだ。そのためここにある庚申堂も小袋庚申堂と呼ばれている。

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庚申堂にあるのは右から、弘法大師供養塔、次は駒型の庚申塔で文字塔と三猿の図柄。元禄15年(1702)11月の造立で、もとは赤羽北1丁目5-6の田辺家にあったが、昭和34年頃ここに移された。その隣の大きな笠付角柱型の石塔は念仏供養塔で、寛文8年(1668)2月の造立。そして左端が再び駒型庚申塔で、宝永元年(1704)9月のもの。青面金剛像に邪鬼、三猿の図柄で、この庚申塔もまた田辺家にあったものを同時期に移したようだ。田辺家の場所には小さな丘の墓所があり、地蔵が門番をしている。しかし環八工事で周辺は大きく変化しているので、この墓所もいつまで残るか微妙である。ただこの小丘は江戸時代からあった寺の跡であり、古墳時代の遺跡「堂山横穴墓」である。開発されないことを望む。

場所  北区赤羽北1丁目6-2

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