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2020年6月 2日 (火)

駒込富士神社の庚申(文京区本駒込)

駒込の富士神社はもともと本郷にあった。天正元年(1573)に名主らの夢枕に木花咲耶姫が立ったことで、現在の東大のキャンパスの場所に浅間神社を勧請した。寛永6年(1629)に加賀藩前田家がその地を上屋敷として拝領するにあたり、浅間神社は現在地に移転した。中世以前からこの丘は存在し、前方後円墳だったという。それを富士塚とよんで富士講の信仰対象にしたのは江戸時代の事である。

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天祖神社やこの富士神社を含む遺跡は駒込神明町貝塚と呼ばれ、富士神社古墳は古墳時代の貴重な遺跡で土師器や埴輪が出土している。しかし江戸時代の富士講は大きく盛り上がり、文京区内だけでも音羽富士(護国寺境内)、白山富士(白山神社)、身禄行者の墓の4座がある。そして東京都内には120ものミニ富士があり、23区内では練馬区大泉の中里富士が最も高い。

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ただここ駒込富士は胎内(溶岩洞窟)まで模した場所があり、その入り繰りには自然石の庚申塔が半分埋もれかかってはいるが存在を見せている。この自然石庚申塔の右側は胎内形式になっているが、崩落が進み子供がけがをしたりするのを防ぐために塞がれてしまっている。

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実はこの埋もれかけた胎内には庚申塔がある。上の写真は3基あるうちの小さい方で、造立年は不明だが駒型であることは分かっている。青面金剛像が彫られ、邪鬼を踏んでいるが、その下は土に埋まっていてどうなっているのか分からない。また、この駒型庚申塔の横には文政9年(1826)9月造立の青面金剛、邪鬼の庚申塔と延宝4年(1676)6月造立の文字塔型角柱の庚申塔があるらしいが、崩落が進んでいて確認できなかった。

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斜面には板碑型の庚申塔が1基立っていた。大きなもので、造立年は寛永17年(1640)3月、江戸時代後期に書かれた資料によると、今よりもずっと右側の高いところにこの庚申塔は立っていたらしい。しかし、大正時代の調査では富士神社山頂にあったことが分かっている。いろいろ移されているのだが理由は分からない。庚申塔の中央には、「庚申待成就後生善處也」とある。現世もあの世も幸せにという、かなり贅沢な信仰である。

場所  文京区本駒込5丁目7-20

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