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2020年6月 7日 (日)

浄光寺の石仏・庚申⓶(世田谷区世田谷)

浄光寺の本堂脇を進むと墓所に入る。本堂のちょうど裏手に無縁仏が集められている。その手前にある3基の石塔は素性が判っている。世田谷村の上宿(現在の世田谷線世田谷駅~上町駅の辺り)の住民が、当時無縁仏の供養のために、松ヶ丘交番付近(旧地名は供養塚)に建てたもの。その後3基とも仙蔵院(廃寺:現在の桜小学校校庭あたり)に移されたが、さらに大正10年(1912)に大場家が代官屋敷内に安置した。

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さらに昭和39年(1964)に区立郷土資料館の設置を契機に資料館に寄贈され、一般の参観に供していた。ところがそれから地元では不幸が相次いだため、地元有志が協議を行った末に、大場家に依頼し、同所にあった他の石塔<元禄7年(1694)の如意輪観音像、寛保3年(1742)の地蔵菩薩立像、ほか1点>と共に浄光寺に安置した。

右の舟型の地蔵菩薩立像は寛文2年(1664)2月の造立。上部に「念仏供養」とあり、右に「願衆廿六人導師泉蔵院」とあるのは前述の桜小学校のところにあった仙蔵院のことであろう。真ん中の念仏供養塔は元禄8年(1695)3月の造立で、中央に「念仏供養二世安楽所」とある。その横には「同行三拾三人」と書かれている。

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一番左側は珍しい形をした、唐破風笠付丸柱型の庚申塔で、造立年は貞享2年(1685)9月。青面金剛像の脇に日像月像があり、下に三猿がある。左面には「世田ヶ谷上町」とあるので、前述の経緯は間違いないようだ。右面には「同行11人」とあるので、当時の住民の中の庚申講の代表者数はそれくらいだったのだろう。

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無縁仏塔の裏手の隅っこにある文字塔の庚申塔もくし形角柱の比較的珍しいもの。何の情報もなく、ただ「庚申」とだけ彫られている。板碑型の墓石らしき石碑で寛永4年(1627)という古い塔の脇に潜んでいる。

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その左には傾きながらゼニゴケをまとっている馬頭観音塔がある。明治32年(1899)9月のもので、右面に「世田谷上町 願主 嶋﨑千代▢ 世話人」とあるがその下は読めない。当時はまだ世田谷通りはなく、ボロ市通りが街道であったので、牛馬の往来も多かったのだろう。

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このほかにも多くの石仏が境内にはあるはずなのだが、なかなか見つからない。唯一見つけたのは無縁仏塔にあった明治9年(1876)3月造立の馬頭観音。大きく馬頭観音が彫られており、願主は 嶋﨑喜代治とある。世田谷上町で馬屋でもやっていたのだろうか、上の馬頭観音と同じ施主の苗字である。

場所  世田谷区世田谷1丁目38-20

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