志村第二公園の庚申塔(板橋区前野町)
都営地下鉄三田線は旧中山道清水坂の脇で地上に出る。「清水坂」は赤羽台地と新河岸川の低地の間の崖線にある。この崖は今はなだらかになっているが元は20mの切り立った崖線だった。その壁から地下鉄が出てくる仕組みである。そんな都営三田線が地上に出た最初の駅、志村三丁目駅から南西に向かい、首都高速をくぐったところに小さな三角形の児童公園(志村第二公園)がある。
手前の鉄格子がちょっと気になるが、時代のある庚申塔3基である。一番右の小さな角柱も庚申塔。造立年は明和7年(1770)らしい。高さは57㎝、左右は道標になっていて、「右ハ はやぞミち」「左ハ 祢里まミち」とある。左は練馬道の意味だろうが、はやぞ道とは何だろう。中央正面には、「奉石橋建立庚申町講中二世安楽所」とあり、「武刕豊嶋郡東叡山領中臺村 願主向臺中」の銘がある。
中央の駒型庚申塔が一番大きい。文政13年(1830)8月の造立。青面金剛像に二鶏、邪鬼、三猿の図柄。これも「武州豊嶋郡中臺村 向臺中」の銘があり、左右には「向左 祢りま乞り大山道」「向右 祢つは乞り吹上道」とある。清水坂を経て大山詣でのための大山道が繋がっているので、練馬を経て大山道の意だろう。しかし、右の吹上道はどこだろうか。埼玉県北部の吹上ではなく、ここは白子川の向こう、吹上観音への道の意だろう。
一番左の角柱は新しく、明治2年(1869)2月のもの。文字塔で「庚申塔」と書かれている。これも左右に道標があり、「向右 祢りまみち」「向左 かみいたばしみち」と書かれている。古地図を確認すると、この公園の場所は江戸時代から丁字路になっており、東は志村城址、南は中台村向台から上板橋へ、西は蓮根方面に延びていた。
場所 板橋区前野町5丁目56
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