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2020年6月10日 (水)

区立郷土資料館の石仏⓶(世田谷区世田谷)

さて、区立郷土資料館の残りの石仏だが、庚申塔の1基は既に紹介している。「駒沢交差点にあった庚申塔」というテーマで取り上げたが、この庚申塔は昭和60年(1985)にここに移された。いったん取り上げているのでここでは割愛したい。

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駒沢にあった庚申塔の一つ右にあるのがこの文字塔角柱型の庚申塔である。正面には「庚申塔 東 目黒道  瀬田村」とあり、左面には「北 府中道」とある。右面には「南 六かう道(六郷道)」とあって、庚申塔としてよりも道標としての役割の方が大きそうである。造立年は文化13年(1816)で、ここに来る前は昭和48年まで、旧瀬田町会事務所の敷地にあった。それ以前は、現瀬田1丁目と上野毛3丁目の境の駒沢通りあたりにあったのではないかとされている。現在多摩美大がある辺りだろう。

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駒沢にあった庚申塔を挟んでさらに庚申塔が1基。これは駒型の庚申塔で、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれた典型的なもの。造立年は享保13年(1728)5月。旧大山街道の世田谷警察署前交差点近くに住んでいた小野家から寄贈されたが、小野家は昭和20年頃他家から譲り受けたという。小野家があった場所の傍には、「中里の庚申塔」がある。若干似ているので、もしかしたら貞享2年(1685)の庚申塔に次いで製作されたものかもしれない。

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その先にあるのは首なしの地蔵菩薩像。造立年は宝暦6年(1756)8月。正面には「念仏講供養仏」、左面には「武州荏原郡瀬田谷領▢内若林村」とあるので、世田谷領若林村のもの。右面には「是より南 いけがミみち」とある。この地蔵菩薩は現在の常盤橋陸橋(世田谷通りと環七の立体交差)付近にあったが、環七の工事の為、若林村の名主である根岸家に移された。昭和57年(1982)に根岸家から寄贈されたものである。「根岸家の墓所の石仏」については別述した。

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最後の一基は、駒型の角柱。天明5年(1785)11月造立の三界万霊塔である。正面には「西 さ加み道(相模道)」、左面には「南 池上道 発願人 当村 伝右衛門」、右面には「北  高井戸宿通り」、裏には「東 江戸道」とある。もとは旧玉川電鉄真中駅から北に入った辺りにあったと伝えられている。

場所  世田谷区世田谷1丁目29-14

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