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2020年6月30日 (火)

野沢テコテン坂の庚申塔(世田谷区野沢)

世田谷区の環七通りは上馬から南はかつての品川用水の流路を通っている。川は谷の一番低いところを流れるが、用水路は一番高い所を流すのが常である。環七通りから北東に向かうと中目黒だが、その手前には蛇崩川とその支流による谷が形成されていて、尾根筋から蛇崩川に向かって下るのが「テコテン坂」である。

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古い庚申塔が路傍にあるのはそこは古道である証拠である。この道は江戸時代から大山街道の南東側を並走する道で、野沢村と下馬引沢村を結んでいた。日本大学のスポーツ科学部がある辺りが蛇崩川流域の水田地帯だったのだが、環七辺りの標高が40mで日大辺りが27mなので実は13mも高低差がある。テコテン坂は庚申塔辺りで急に下ったのち平坦になり、日大の直前で残り半分の高低差を下っていたが、現在は土地が均されて傾斜はわずかである。

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庚申塔は板碑型で高さが1.66mもある。造立年は寛文10年(1670)10月。「陽月」と書かれているのは10月の事だと初めて知った。三猿の上には「奉造立庚申待供養塔爲二世安楽也」とあり、横に「武刕荏原郡馬牽沢村」とある。下部には願主11人の名前が彫られている。ずっと野ざらしだが、江戸時代初期の石仏は石が良い。

江戸は関東ローム層地質なのでこういう石は存在しない。しかし村人が伊豆辺りから運ぶのは無理である。しかし江戸城周辺の普請で余った石垣の石が大量にあったので、普請が終わっても石工が食えるようにとあちこちで庚申塔や地蔵の建立が盛んになった。石工の工賃は1基300文ほどだったというから、現在価格で22,000円ほど。大工よりもかなり低い(大工は日給で3万円程度)。だから石仏にもいいもの悪いものがあるのであろう。

場所  世田谷区野沢1丁目9-31

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