徳丸中尾原下の庚申(板橋区徳丸)
板橋区の徳丸、成増は坂の宝庫である。名坂が沢山ある。タモリ氏が師と仰ぐ山野勝氏によると、東京の坂の魅力は傾斜、湾曲度合い、江戸情緒、命名所以にあるという。私はそれに加えて川(沢)の存在と野仏を評価に加えたいと考えている。武蔵野台地を削って谷と台地を分け、坂道を強いたのは川であり、坂の上と下ではあの世とこの世のように違う世界があるゆえに、境の神である野仏が存在する。徳丸の西徳通りの南にある「観音講の坂」もそんな坂のひとつである。
屋根付庚申塔の手前の道は暗渠である。新河岸川に注ぐ前谷津川の支流のひとつが中尾原の台地から水を集めて流下し小沢になっていた。東西の道が丁字路になっていて、南へ進むとこのすぐ先で左へ曲がり「観音講の坂」の上りになる。従って坂道のところでもこの庚申塔に触れている。
庚申塔は風化が進んでいて青面金剛像もはっきりしない。三猿も彫られているのかどうか分からないが、資料では日月と正面金剛だけの用である。右側には「右 ねりまみち」左側には「左 戸田みち」とあり、道標を兼ねていた。造立年は享和2年(1802)3月。手前にある角柱は後年立てられたもの。道標になっていて、正面には「右 下練馬、前 赤塚役場、左 志村 赤羽」とある。
場所 板橋区徳丸3丁目38-13
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