安楽寺の石仏(品川区西五反田)
安楽寺は桐ケ谷斎場の北側にある天台宗の寺院。斎場からは目黒川の河岸段丘を下ったところにあり、標高では15m低い。安楽寺の裏手には桐ケ谷氷川神社があり、河岸段丘の崖の上に立っている。ただ江戸時代から明治時代にかけての道筋は目黒川を谷山橋(ややまばし)で渡ってから安楽寺の門前に突き当たる道が中原街道に並行する水田の中の主要道だった。
安楽寺の創建は天正元年(1573)だが、いろんな寺院の末寺を変遷してきた。江戸時代後半からは、念仏講を広め近辺から高輪、三田あたりまで信者を広げたという。河岸段丘下の寺院ということで、湧水も豊富で周辺の飲料水を供給していたようだが、台地の開発が進んでからは水も出なくなった。
本堂脇には、堂宇内に連理塚があり、これは白井権八と遊女小紫の墓とされている。権八小紫の話は「禿坂」のところで書いたので参照していただだきたい。その脇には塩地蔵があり、ここでは塩が袋のまま奉納されていた。さらに夢違観音、これは悪夢を良い夢に変えてくれるという。その横から、石仏群が壮観に並んでいる。一番手前は板碑。下部に13年という文字が見えるが、造立年は分からない。
2基目は黒御影石の馬頭観音。さすがにこれは新しく、昭和37年(1962)のものである。ただこの時代はすでに牛馬の時代ではなく、モータリゼーションの黎明期で、トラックも走っていたので、馬屋のものではなさそう。願主 飯泉とあり秋彼岸とあるので、回顧して立てたものだろうか。
その隣には珍しい板碑型の地蔵菩薩立像。寛文10年(1670)10月の造立年が刻まれている。古さからしてはきれいな保存状態だが、よほど石の質が良いのだろう。下部の願主名もくっきりと残されている。
4番目には舟形光背型の馬頭観音が立っている。このタイプの馬頭観音は多くない。造立年は読み取れないが、延宝年間(1673~1681)のようである。三面六臂に頭上の馬頭もしっかりと見える。
その先は庚申塔が数基並び(これは別述する)、一番奥には角柱型の馬頭観音の文字塔がある。左面には「右 桐ケ谷 左 目黒」とあり道標を兼ねている。造立年は大正10年(1921)である。
ここにある供養塔や庚申塔は、もとは目黒川の谷山橋(ややまばし)脇にあったが、昭和初期に河川改修が行われた折に安養寺に引き取られた。目黒川沿いの水田地帯は谷山村、台地の上は桐ケ谷村ということで、安楽寺はその間にあり二つの村の民俗信仰をまとめて見せてくれる場所。さすが念仏講を人々に広めた寺院だと思う。
場所 品川区西五反田5丁目6-8
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