上板橋子育地蔵尊(板橋区上板橋)
上板橋駅の南、東武東上線と国道254号(川越街道)の間にある商店街が旧川越街道。昔の宿場だけあって今でも賑やかな通りである。この商店街の中心になっているのが子育地蔵尊。祭りの御輿なども、この地蔵が起点になっている。古い街道の商店街のお地蔵さんというものは、なかなかいいもので、絶えず誰かが拝んでいたりして、地域住民に密着している様子がうかがえる。
堂宇の中には3体の地蔵があるが、古いのは奥の2体。左側は安永6年(1777)10月の造立。左に「光明真言四百万遍供養仏」、右には「上板橋栗原講中 宝田市良右衛門 同久良右衛門」とある舟型光背型の地蔵立像。右側も舟形光背型の地蔵立像で、安永7年(1778)2月の造立。「武州豊島郡上板橋村之内栗原村」の銘がある。
手前の地蔵立像は新しいもののようだが、詳細は分からない。この2体の地蔵はもともと栗原堰の一本橋付近にあったという。現在の桜川1丁目5番地でここから1㎞近く南の石神井川、茂呂遺跡のある辺りである。川越街道のこの地に移されたのは明治の初め。当初は3体の地蔵があったというが、明治時代に1基は失われてしまったらしい。大正時代になって、無残に路傍に放置された地蔵をこの地に祀ったのは豆腐屋を営んでいた宝田半次郎氏。左の地蔵の宝田市良右衛門の子孫かもしれない。
場所 板橋区上板橋2丁目2-19
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