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2020年7月27日 (月)

平塚の碑と平塚橋の碑(品川区荏原)

中原街道沿いに平塚の碑というものがあるらしいので訪れた。極めて分かりにくい場所にあった。バーミヤンというチェーン・レストランの左の路地を入り、ピロティの駐車場を見ながら左の民家の間の細路地を覗くと、奥に鳥居がありそこに平塚の碑があった。

平塚の碑とは何だろうと説明板を読んでみた。中原街道がかつて鎌倉道だった時代から、この辺りに大きな塚があった。伝承によると、後三年の役(1083~1087)で源義家を助けた弟の源義光は、欧州からの帰還中この地で夜盗に襲われ多数の配下を失ってしまった。その霊を祀ったのが平塚だという。いつしかこの塚は壊されてしまったが、地域の人々が昭和27年(1952)にこの平塚の碑を築いて伝承を伝えているというものらしい。

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平塚という地名は中原街道の西の終点が相模国(神奈川県)平塚ということに関係があるかと思っていたが全く違った。源義家伝説は都内のあちこちにあり訝しいものも多いが、大きな塚があったのは事実でそれがもとでの地名だというのは説得力がある。そこから少し五反田寄り平塚交差点の近くに平塚橋の碑がある。住居表示ではこちらは品川区平塚になる。

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こちらは平塚という地名が定着したのち、江戸時代に掘削された品川用水に架かっていた平塚橋に因むもの。品川用水は寛文9年(1669)に完成した農業用水のひとつ。世田谷区から目黒区へ流れた後、品川区小山2丁目の地蔵の辻で二手に分流、左は百反通り方向に流れ、桐ケ谷から居木橋で目黒川に合流し、右は戸越から大井村の農地に流れていた。この碑は地元の人々が埋められて消えてしまった品川用水の平塚橋をここにとどめようと造られたものである。

場所

平塚の碑  品川区荏原4丁目6-4

平塚橋の碑  品川区平塚3丁目16-31

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