西光寺のしろかき地蔵(板橋区大谷口)
板橋区と練馬区の間にかつて流れていた川にえんが堀という石神井川の支流(跡)がある。定説としては千川上水の水が地下にしみこんでそれが湧水となって出てきた流れと言われるが、地形から見てそれは言い過ぎだと思った。最初から細流があって、練馬区旭丘、板橋区向原、大谷口などの地域の湧水を集めて谷を形成したはずである。この辺は以前「地蔵坂(大谷口)」にも書いた。
大谷口に西光寺という古刹がある。江戸時代初期に創建された観音堂が始まりと伝えられる。この寺の境内にしろかき地蔵がある。年不詳だが、言い伝えによると室町時代の作の可能性が高く板橋区でも最古の地蔵らしい。この辺りは武蔵国の典型で、台地の上に武蔵野の林が広がり、細流が削った谷あいで細々と米作が行われてきた。村に伝わるしろかき地蔵の昔話がある。
ここの下りは「地蔵坂(大谷口)」で書かせていただいたのでリンクで読んでいただければ幸いである。地蔵菩薩にこのような昔話があることは極めて多い。お互い様、の気持ちで生きてきた日本の農民の民度の高さが地蔵信仰や念仏講になっていったのだと思う。現代の日本人も石仏からいつでもそういう心を学べるはずなのだが、世間は世知辛い。
場所 板橋区大谷口2丁目8-7
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