瀧前町講中道標(目黒区下目黒)
目黒不動尊から100mばかり西の住宅地の路傍にポツンと石仏が立っている。ここから南側は谷になっていて、そこには目黒川支流の羅漢寺川が流れていた。目黒不動山門前から羅漢寺に抜ける抜け道はこの川筋である。かつてはこの北側には競馬場があった。その為目黒通りには元競馬場という場所がある。
写真の道の先100mに目黒不動がある。明治時代、この辺りは谷戸と呼ばれ、この南側の羅漢寺川左岸には苔香園という施設があったことが明治時代の地図にはある。調べてみると「目黒花壇・苔香園(たいこうえん)」という日本庭園だったようだ。明治時代には向島百花園と並ぶ名庭園として有名だった。明治35年(1902)から大正9年(1920)頃までの短い間である。
石仏は丈夫に合唱した地蔵菩薩坐像、道標を兼ねており、「右 目黒道」「左 祐天寺道」とある。造立年は明和5年(1768)で、左面には「瀧前町講中」とある。瀧前町は目黒不動の門前当たりの古い地名で、龍泉寺の門前だから瀧前なのではないかと思っている。
場所 目黒区下目黒4丁目20-11
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