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2020年7月10日 (金)

成覚寺の石仏(新宿区新宿)

成覚寺は太宗寺の北側にあり、靖国通りに面した小さな寺。本堂もこじんまりとしていて境内も狭いので寺とは気づかず通り過ぎる人も多いのではないかと思う。しかし文政3年(1594)の創建と伝えられ、江戸時代には岡場所として繁栄した内藤新宿の飯盛女たちの投げ込み寺だった。現代風に言うと、新宿の街で風俗嬢やソープ嬢として働いていた女性たちが重病になったり死んだりするとここに投げ込むように放り込まれたという物騒な話である。

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本堂の前のアジサイに包まれているこの石碑は、「子供合埋碑(こどもごうまいひ)」といい、共同墓地に埋葬された飯盛り女たちの供養碑である。江戸時代は貧乏な家庭では娘を奉公に出した。年季奉公と言われ一定の期間が来るまではタダ同然で働かされた。年季がくれば解放されるのだが、その前に死んでしまった娘たちがここに眠っているのである。造立年は万延元年(1860)だから明治維新の少し前である。新宿区の指定有形文化財になっている。

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寺の入口近くにある「旭地蔵」もまた、悲しい物語がある。造立年は寛政12年(1800)。元は旭町(現在の新宿4丁目、高島屋の東で天龍寺や新宿高校のある一角)にあったもの。その場所にあった理由は、そこに玉川上水が流れていたからで、江戸時代は現在の神田川を上回る流れだった。そんな玉川上水に入水し心中した飯盛り女や遊女と客の亡骸を供養している。玉川上水と言えば昭和になって太宰治も入水自殺したほどの流れだが、今の東京人には想像もできないだろう。旭地蔵も区の指定有形文化財である。

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墓所に入ると左の笹藪に1体の地蔵座像がある。これは元治元年(1864)の子育地蔵。膝の上に子供を乗せている。この年に疱瘡(天然痘)が大流行し多くの子供が命を奪われた。その供養に建てられたものである。コロナの今、改めて疫病と生きてきた人々の歴史を感じられる。

場所  新宿区新宿2丁目15-18

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