釜寺前の身代地蔵尊(杉並区方南)
中野区方南にある東運寺は通称釜寺と呼ばれる。「釜寺」という通称の由来となった身代地蔵尊は、山椒太夫に釜ゆでにされそうになった厨子王を、お坊さんの姿になって助けたという言い伝えがあり、それに因んで本堂の屋根に釜を置き始めたらしい。
門前の堂宇には2体の地蔵尊がある。向かって右側の丸彫地蔵は延享元年(1744)11月の造立。伝説にある山椒大夫の釜は天正年間(安土桃山時代)の話なので、当然ずっと後のもの。しかし「當所若者中 世和役 鈴木長兵衛」とあるのは、釜寺の創建に関わった鈴木家の子孫かもしれない。また、左側の大きい地蔵菩薩は近年のものだが造立年は不明、こちらは子育地蔵尊だが、作者は「昭和の伊豆の長八」と呼ばれた手塚忠四郎氏。実は東運寺境内と合わせて数体の地蔵があるが、どれが釜寺の身代り地蔵なのか、どれもそうでないのかが分からない。
堂宇の左側には、二つの角柱がある。ひとつは「釜寺近道」と書かれた昭和9年の道標、もう一つは古く、享和元年(1801)6月の「浅草観世音千日参回向」の碑である。右側面には「右 大山目黒池上道」とあり、このあたりと池上までは堀之内道というほぼ環七通り沿いの街道で南北の往来があった。
場所 杉並区方南2丁目4-31
| 固定リンク
コメント