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2020年8月 5日 (水)

下道地蔵尊(1)(北区豊島)

現在は北区豊島4丁目、江戸時代から明治時代にかけては旧荒川(現在の隅田川)河畔の水田地帯、戦後になって日本油脂王子工場などの化学工場が並んだ古道の一角に都内でも随一の地蔵堂がある。祀られている石仏はなんと18基。正面から見ると壮観である。

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流石に一気にすべてを紹介するのは大変なので、半分ずつ紹介したい。左端に小さな石仏が3基あるが、端から頭部欠損の地蔵菩薩像が2基と小さな如意輪観音像(宝永2年(1705))で、どうも墓石っぽい。正面向きの比較的大きなものがその横からずらりと並んでいる。

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台石のある左の石仏は聖観音立像。元禄7年(1694)1月の造立。これも墓石である。隣の如意輪花音像(中央)は宝永6年(1709)11月の造立。「同行拾人」とある。如意輪観音の上に「庚講供養」とあるので、庚申講中による庚申塔であろう。その右隣りは、首が欠損した地蔵菩薩立像。宝永3年(1706)5月の年紀が入っている。足元の両脇には草書で書かれているが私には読めず。

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首の欠けた地蔵菩薩の右隣りは、胴の部分で折れて修復された地蔵菩薩。右側に「奉供養庚申二世安樂之所」とある。造立年は延宝3年(1675)11月、脇に「武刕豊嶋郡豊嶋村敬白」の銘がある。これも庚申講中による地蔵。さらに右隣りは、頭の部分の舟型光背型の頂上が欠損した地蔵菩薩。寛文10年(1670)9月の造立で、「豊嶋之郡豊嶋村」の銘あり。

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中央には3基の大型石仏があり、左側は貞享4年(1687)11月造立の地蔵菩薩立像。これも豊嶋郡豊嶋村の銘がある。胸のところで折れた跡があるがきれいに繋いである。これくらきれいに繋いであると文字も読めるのだが。脇には「奉供養庚申為二世安樂也」とあり、これもまた庚申講中による庚申塔だと分かる。

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真ん中にあるのも地蔵立像。これも「奉供養庚申待二世安樂之処」とあるように庚申塔である。造立は天和3年(1683)10月。「同行男女34人 武刕豊嶋村」とある。ほぼ豊嶋村のものである。しかも江戸時代前期のものが多く、庚申塔が青面金剛像を主尊とする以前の貴重な石仏群である。

場所  北区豊島4丁目16-29

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