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2020年8月 6日 (木)

下道地蔵尊(2)(北区豊島)

下道地蔵尊の後半、右半分である。中央の大きな舟型光背型の地蔵尊がここの本尊とされているらしい。そのすぐ右側にある地蔵立像は丸彫、造立年は不詳である。頭が丸ごと欠損していて、あとは胴が太腿辺りで折れたのを補修してある。

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またその右の丸彫地蔵菩薩立像も年代不詳で、こちらは同じく首が欠損し、胴の中程でさらにひどく痛ましい。特に資料にあったわけではないが、これだけの破壊は第二次大戦の空爆でしかありえないだろう。連続していたんだ丸彫地蔵菩薩の隣には比較的傷みの少ない庚申地蔵がある。舟型光背型のこの地蔵は、元禄16年(1703)11月の造立。

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この庚申地蔵は地蔵の右側に「奉造立庚申二世安樂所 鈴木勘右門」とあることから庚申塔という見方である。その隣の小さな舟型光背型の石仏は右上がちょっと欠けている。この石仏の尊像は不思議である。資料には「異形観音」と書かれていた。実際にこのタイプの観音は見たことがない。造立年は享保3年(1718)11月。「豊嶋村  奉供養庚申 為二世安樂」とあるので庚申塔と言える。

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右端には小ぶりな石仏が並ぶが、右から4番目の石仏は「奉造立千日供養」とあるので念仏講中の千日供養塔ではないかと思う。年紀は右上にあるが欠損していて読めない。巳年という文字のみが見られる。左には「2月6日」とある。右から3番目の小さな石仏は如意輪観音像。正徳6年(1716)2月の造立だが、どうも墓石のようである。奥の小さな地蔵は元禄14年(1701)9月の造立。一番右の如意輪観音は貞享4年(1687)11月のものである。

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下島地蔵尊はこの辺りを本拠地にした中世の豪族豊嶋氏に因んだ「六阿弥陀伝説のお地蔵様」と伝えられ、豊嶋の人々は深く信仰していた。最初はちゅおうの本尊の地蔵様だけだったが、徐々に地域からここに集められて18体にまでなった。「下道(しもみち)」というのは、「志茂」(現在の北区志茂)へ向かう道が分岐していたので、地名として呼ばれるようになったらしい。

場所  北区豊島4丁目16-29

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