松原庚申堂(狛江市和泉本町)
狛江市にある松原通りは南は世田谷通りの狛江高校前から北進し京王線仙川駅東側で甲州街道(国道20号線)に接続する地域の幹線道路。この道は旧田中橋から野川までは江戸時代から直線道路で、現在の中和泉あたりから和泉本町にかけては欅の樹林があり、松林も多かったという。その為に「松原」という旧地名が生まれたのだろう。
この道路沿いにあるのが松原庚申堂。松原通りの拡幅に伴い、昭和39年(1964)に庚申塔や地蔵尊をここに集めて祀り、「松原地蔵庚申講」を結成して供養を行ってきた。周辺の開発によって1基また1基と増えてきて現在では9基になった。10年ほど前でも講中の会員数は70名ほどという結構な大所帯である。
奥の堂宇内には2基の庚申塔が祀られている。左の駒型庚申塔は2ヶ所中折れして補修されている。大正▢年4月再建とあるが、中折れ補修で肝心の年数が読めない。一部から推察するに大正5年(1916)ではないだろうか。日月、青面金剛像、台石に三猿の図柄。再建とあるのでその前があったはずだが不詳。右の駒型庚申塔も上部が欠損して補修されているが、こちらは大正13年(1924)2月再建と読める。日月、青面金剛像があり同じく台石に三猿。こちらも再建の元は不明。
左に並ぶ4基の石仏は、道路側から、丸彫の地蔵菩薩立像。前面お腹より下の正面に「奉造立地蔵菩薩念仏講供養」とあるが年紀等は不詳。隣が自然石の庚申塔で、天保10年(1839)仲冬のもの。仲冬とは初冬、仲冬、晩冬に分けた真ん中の時期で、概ね12月から正月三が日にかけてをいうので、12月の造立か。右から二番目は、駒型の庚申塔で剥離と摩滅がひどい。寛政12年(1800)10月の造立で、「當村講中十二人」とある。残りの右端の一体は地蔵立像だが詳細は分からない。
一方右側には背の高い庚申塔がある。駒型で、青面金剛像、邪鬼が描かれているが三猿はない。高さは128㎝もある。造立年は明治十▢年とあるが▢の部分が剥離して分からない。そばには「西ふ田道」とあるので、布田(調布市)に向かう道ということだろう。中央は、念仏供養塔の聖観音像で、文化2年(1805)10月のもの。側面には「武州多摩郡世田ヶ谷領泉村 中通六斉念仏五十四人講中」とある。また台石には、「東 六郷道 南 のぼりと道 北 たかいど道 西 ふちう道」とあるので筏道(品川道)と松原通りの辻にあったものではないかと推測。庚申堂から500m程南である。
場所 狛江市和泉本町1丁目25-2
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