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2020年8月19日 (水)

八雲神社大辻の庚申(目黒区八雲)

目黒区八雲の氷川神社は旧衾村の鎮守。創建年代は不詳だが一説には慶雲4年(707)と言われ、相当古いものと思われる。南側最初の鳥居の前は江戸時代の二子道。この街道はここで南に向きを変え呑川を渡り、氷川坂を登り等々力を経て野毛の渡や二子の渡へ向かう道だった。氷川神社は現代でいうと道の駅のような役割も果たしていたのだろう。

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参道に入り鳥居をくぐると左側に屋根付きの地蔵堂がある。この地蔵は「くずれ地蔵」と呼ばれ、元は中根の辻にあったというので呑川を渡った辺りだろうか。身体が痛むときに地蔵の同じ箇所をなでると治ると言い伝えられ多くの人々がなでたために現在のようにとろけた姿になったらしい。そののち屋根付きの堂宇に入ったというが、おそらくはずっと雨ざらしで風化していったものだろう。

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本殿に向かっていく木陰が心地よい。本殿の右側に渡り廊下があり、その下をくぐると奥の宮に行くことが出来る。奥の宮の手前にはアカガシの巨木の朽木が祀られている。八雲氷川神社はもともと癪封じの神として信仰を受けていた。このアカガシの樹皮を煎じて飲むと癪が治ると信じられていたのである。癪というのは胆石症、胃痛、虫垂炎、生理痛などから来る腹痛すべてをいう。しかし樹木は樹皮が失われると枯れる。その為この大アカガシも枯れてしまったらしい。

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奥の宮の横には2基の庚申塔がある。右は板碑型で三猿の図柄。延宝2年(1674)12月の造立で、「奉待庚申〇伸石塔一尊建立供養為」とある。左は駒型で造立年は寛延2年(1749)8月。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれている。この2基の庚申塔は昭和の初めまで、柿の木坂の畑のあぜ道にあったが、度重なる耕地整理であちこちへ移転を余儀なくされ、昭和63年(1988)には柿の木坂ゴルフガーデン脇に移り、平成23年(2011)に現在の場所にやってきた。大辻というのは現在の目黒通りと環七通りの交差点辺りを指すようだ。

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ここの庚申や地蔵のように、近所から移設されて寺社に保存される石仏はまだいいのだが、果たしてどれくらいの石仏が開発のもとに打ち捨てられて来たのだろうかと思う。都立大学駅は昭和初期には柿の木坂駅だったが、東急総帥の五島慶太がこの辺りを開発するのに永田町にあった東京府立高校をここに移転させた。それが都立大学となって駅名になったが、大学は八王子市の南大沢に行ってしまった。変貌する東京の一角がここにもある。

場所 目黒区八雲2丁目4-16

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