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2020年8月17日 (月)

徳蔵寺の庚申石仏(品川区西五反田)

山手線の線路沿い、五反田駅から少し目黒駅に近いところにビルのお寺の徳蔵寺がある。天台宗の寺院で、創建は天正年間(1573~1591)、ちょうど今の大河ドラマ『麒麟が来る』の時代である。江戸時代初期の五反田は既に野原ではなく、畑が広がり、江戸の食を支えるための新田開発が盛んに行われていた。

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境内に入ると山手線を背にして地蔵が並んでいる。左側の半跏像が三輪地蔵尊。徳川五代将軍綱吉の大奥老女三輪の菩提を弔うため、元文3年(1738)に造られたと説明板にあるが、別の資料では江戸下谷長者町に住む医師吉川栄順が、妻お三輪の菩提を弔うために建てたとある。さてどちらだろうか。座像とも半跏像とも言い切れないタイプで、左足を下におろした姿は珍しい。

右側は塩地蔵。貞享4年(1687)の造立で、塩地蔵は北向きという慣わしがあるが、各地の塩地蔵はどれも北を向いていないものが多い。これも南西向きである。まあ各寺での保存のしばりもあるので致し方ない。この塩地蔵は眼病治癒を祈願し、治るとお礼に塩を献上する慣わしで今も続いているようだ。

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その先には5基の庚申塔がきれいに並んでいる。左から、笠付角柱型の庚申塔で三猿のみの図柄、造立年は延宝8年(1680)11月。「武刕荏原郡上大崎村」の銘があり、願主名は後述の延宝5年の駒型庚申塔と重なる。隣は、板碑型の大きな庚申塔で、中央に「奉起立庚申供養二世安楽祈所」、右に「當願衆 江戸竹河町」「大峯行者 教善院 堤道覚」とある、造立年は寛永12年(1635)3月でこれほど古いものは珍しい。品川区最古の庚申塔と説明板にあった。

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中央は黒い材石でできた駒型の庚申塔で、日月・三猿・二鶏が描かれている。中央には青面金剛像はなく、「奉供養庚申講中」と書かれている。元禄2年(1689)3月の造立。右から二番目は笠付角柱型の庚申塔で、日月・三猿・二鶏の図柄。これも中央に「奉供養庚申講中」とあり、脇に天和2年(1682)9月造立とある。一番右の駒型庚申塔は、延宝5年(1677)11月のもの。これには青面金剛像があり、三猿、二鶏が描かれている。また「武刕荏原郡上大崎村 清水吉兵衛」の銘が刻まれている。

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これらの庚申塔はもともと上大崎村の各地にあったが、それをここに纏めたらしい。時代も古く、五反田(上大崎村)が江戸時代初期から開かれていたことがよく分かる。江戸時代中後期になるとこの辺りにも大名屋敷が増え、徳蔵寺の隣には奈良大和柳生藩の下屋敷があった。さすがに江戸の外なので、面積は8500坪もあったようだ。その先は肥後熊本藩細川家の抱屋敷で現在の目黒雅叙園を中心に23,000坪の広大な屋敷だった。

場所 品川区西五反田3丁目5-15

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