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2020年9月 1日 (火)

源兵衛子育地蔵尊(新宿区西早稲田)

以前に坂のページで地蔵坂について書いた折に、源兵衛子育地蔵尊に少し触れたことがある。今回は源兵衛子育地蔵尊が主役だ。早稲田通りに面しているちょっと複雑な交差点、早稲田通りが拡幅されたのは昭和に入ってからだが、それまでは早稲田通りがない状態の変則五差路でヒトデ型の辻だった。江戸時代は源兵衛村、明治になってから源兵衛村は戸塚村に吸収された。

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小さな境内ではあるが地蔵尊としては都内でも有数に広い。右奥の堂宇に地蔵尊、左奥の堂宇には庚申塔と馬頭観音が祀られている。源兵衛村は江戸時代、南の台地上の諏訪村と神田川左岸の下高田村に挟まれた、神田川右岸の小さな村だった。

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源兵衛地蔵は享保11年(1726)の建立。両手が欠損し顔も摩耗が進んで不明瞭になっている。この付近は、元禄年間に源兵衛という者が開墾して、当時28戸から成る村が出来た。源兵衛の死後、村人は源兵衛に感謝して、供養のためにこの地蔵を立てたと伝えられる。毎年、商店街が大規模な地蔵祭を開いている。

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左手の堂宇には、笠付角柱型の庚申塔。寛文13年(1673)9月の造立で地蔵よりも古い。青面金剛像に三猿の図柄だが、青面金剛を祀る庚申塔としては区内で最も古いらしい。その左には明治33年(1900)4月造立の自然石でできた馬頭観音塔。施主は原田熊蔵とある。左手前の角柱型の馬頭観音塔は大正11年(1922)と比較的新しいもの。さすがに大正時代になるとこの辺りは東京市内となり、戸塚町の向原という地名で、周辺には民家も多く建ち並んでいたようだ。

場所  新宿区西早稲田2丁目18-26

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