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2020年8月 4日 (火)

西福寺の石仏・庚申(北区豊島)

北区豊島にある西福寺は豊嶋清光(平安時代末期~鎌倉時代初期の武将で、武蔵国豊嶋郡と下総国葛西郡を領土としていたが、一時没落しその後源氏に仕えて鎌倉時代を迎えた)の娘(足立姫)の死を悲しみ江戸六阿弥陀のひとつを本尊として創建されたと伝えられる。豊嶋清光は王子権現(王子神社)も創建している。

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入口には身代わり地蔵尊があるが地蔵そのものは相当新しいもののようだが、逸話は古い。藤原氏が出てくるので平安時代か、ちょっとお姫様の野球拳っぽい話があって、代わりに裸になったお地蔵様ということで身代わり地蔵尊らしい。とても面白い話である。

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境内に入って山門手前の植込みに光背の欠損した丸彫の地蔵があった。台石に文字が刻まれていて、宝暦6年(1756)10月の造立。施主は鈴木金右衛門とある。北区では鈴木姓をよく見かける。

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山門前に並んでいるのが地蔵菩薩3基。左の大きな舟形光背型の地蔵菩薩立像の創建年は分からない。右肩部分が欠損したのを補修した跡があり、像脇の文字はほとんど消えている。中央の半跏像の地蔵菩薩は、宝永6年(1709)7月の造立。台石には「南無三界萬霊六道四聖」と彫られている。台石に「木公屋町」とあるのは「松屋町」の事であろう。しかし松屋町は大阪の地名。それがなぜここにと首を傾げた。右側の舟型光背型の地蔵は宝永4年(1707)1月の造立。とても素晴らしい材石で彫りも良いが墓石らしい。

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山門を入って本堂右手の墓所入口には大きな唐破風笠付角柱型の庚申塔がある。造立年は寛文11年(1671)7月で、青面金剛像、邪鬼、二鶏が彫られているが、三猿が青面と右左面に一猿ずつ描かれている。江戸時代初期のとても質の良い庚申塔である。左側面には「江戸」という文字が見えるが具体的な町名はない。

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墓所に入り、無縁仏塔を見ていくと、中に庚申塔が混じっている。写真の庚申塔は駒型のもので、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿がコンパクトに描かれている。三猿の下には「武州豊嶋郡豊嶋村 同行9人」と書かれていた。

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そして上の地蔵菩薩立像も庚申塔である。右側には「奉供養庚申待二世安樂修」と書かれている。造立年は欠損して分からないが、9月という月は見て取れる。

平安時代は、東京は北から足立郡、豊嶋郡、荏原郡、という領地で、平安の荘園時代になると、江戸はほぼ豊嶋荘であった。そこから鎌倉時代までに江戸を領土としていたのは、豊嶋氏、江戸氏、葛西氏である。豊島区のイメージとはまったく違う豊嶋郡が当時は東京に広がっていたのである。

場所  北区豊島2丁目14-1

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