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2020年8月31日 (月)

諏訪神社の庚申石仏(新宿区高田馬場)

玄国寺と並んでいる諏訪神社、創建は弘仁年中(810~820)という。玄国寺の開山もこれに倣った年代のようだ。この辺りには特に遺跡等もないことから、その時代から神社があった可能性は低くない。大昔は玄国寺の西側には神田川の支流秣川(まつかわ)が流れていた。秣は「まぐさ」とも読み、牛馬の飼料のこと。別名間久曽川ともいうように馬糞の臭いがしたのだろうか。現在の新大久保駅北側を源頭に北流し、高田馬場駅東側で神田川に合流していた川で、江戸時代流域はほぼ畑だった。

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現在の社殿は昭和55年に再建されたものでコンクリート造り。昔は存在感があったのだろうが、近年周辺に巨大なタワーマンションが沢山建ってきたので、このままだとビルの間の公園のようになってしまいかねない。この神社の境内には珍しいものがある。

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塞神三柱(さいのかみみはしら)の塔である。区の登録有形民俗文化財に指定されている。造立年は天和2年(1682)で、上部に日月が描かれ、その下に「塞神三柱」右に「諏訪上下大明神」「正八幡大菩薩」、左に「天▢▢、稲荷大明神」とある。三柱はこの三神のことだろう。もともと塞ノ神は村境や峠から厄神や疫病が入ってくるのを防ぐための境界守護の神で、当時はすでに庚申信仰も広まっていただろうから、この石仏の意味合いはどういうものだったのだろう。

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その横にある板碑型の石塔は「逆修供養塔」と言われる。承応3年(1654)9月に大久保村の小澤善右衛門をはじめとする11名が建立したもの。逆修というのは、自ら生前に自分を供養するというもので、なかなか面白いことを江戸時代初期の人は考えたものである。

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また境内には駒型の庚申塔がある。造立年は貞享3年(1686)9月と古いがとても保存状態がいい。野ざらしとは思えないほどだが石材の材質がよほどいいのだろうか。上部に日月、中央に「奉待庚申為二世安樂也」とあり、下部に見事な彫りの三猿が並ぶ。なかなか見事な庚申塔である。

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なお神社の南にあった大久保射撃場だが、明治7年(1874)に軍用地化され近衛連隊射撃場となった。その後流れ弾や騒音の問題が大きくなり、昭和に入ってコンクリートドームで覆った筒状の建物が並ぶ施設になった。上の写真は戦前昭和初期のもので、+印が諏訪神社である。都心近くにこんな施設があったとは当時の軍国政治の怖さでもある。

場所  新宿区高田馬場1丁目12-6

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