清光寺の庚申石仏(北区豊島)
北区豊島の隅田川に架かる新田橋の近くに清光寺がある。江戸時代には当然橋は無く、「野新田渡(やしんでんのわたし)」という渡し船があった。別名馬場の渡しとも呼ばれた。ここに初めて橋が架かったのは昭和14年(1939)のこと。現在の橋は1961年に架け替えられたものである。渡しがあったということは古くからの街道で、当時はまだ荒川が開削されていなかったので、野新田渡を渡れば江戸の外という雰囲気があったのだろう。
清光寺は真言宗豊山派の寺院だが、創建は鎌倉時代と言われる。豊嶋氏の豊嶋清光が12世紀に開いたので、清光寺という訳である。鎌倉時代は大きな寺院だったが、豊嶋氏が太田道灌との戦いに敗れてからは衰退、しかしその後再興されて現在も立派な寺院である。
門前には4基の石仏がある。左から二面地蔵菩薩で裏は丸く電柱のようなR(アール)が付いている。大正10年(1921)10月の造立と新しい。背の高い丸彫の地蔵菩薩立像は時代を感じさせるが造立年等は不詳。右の舟形光背型の2基は、左が地蔵菩薩立像で、寛文12年(1672)9月のもの、右は観音菩薩立像で武州豊嶋村講中の銘があり享保16年(1731)11月の造立である。
<追記>
左端の地蔵は、三吉朋十氏『武蔵野の地蔵尊』によると、三面のうち二面に合掌立姿地蔵を浮彫したもので、5歳と3歳になった兄弟が両親の不在中に焼死してしまったのを憐れんで造立されたもの。災害などで失われた尊い命を地蔵に表すことで、残された人々が生きる理由を明示しているように思う。
本堂の前で右に入ると墓所になるが、その入り口近くに無縁仏が集められた箇所があり、魅力的な石仏が沢山ある。ただ多くは墓石なので対象外、しかし庚申塔が2基混じっていた。上の写真は駒型の庚申塔で、日月・青面金剛像・邪鬼・二鶏が見えるが三猿はあるのか無いのか分からない。造立年は享保16年(1731)11月で門前にあった観音菩薩立像と同じ時に作られている。この庚申塔には「当村講中」とだけ書かれている。
もう一つは舟型光背型の地蔵菩薩立像。造立年は寛文2年(1662)8月と古い。「武刕豊嶋之郡豊嶋村 庚結集本願」とあるので庚申塔だと分かる。上部が欠損しているが、地蔵菩薩はかろうじて傷ついていない。豊島の場合多くは下道地蔵尊に集められているが、それでも寺院にはいくつかの庚申塔が保存されている。
場所 北区豊島7丁目31-7
| 固定リンク
コメント