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2020年9月13日 (日)

護国寺の石仏(2) (文京区大塚)

護国寺の石仏の多くが集まっているのが、太子堂の周辺。太子堂は元禄14年(1701)に再建された薬師堂を大正末期から昭和初期に大改修してこの場所に移し太子堂としたもの。この太子堂の周りには地蔵と庚申塔が建ち並んでいる。

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まずひときわ背の高い光背付きの丸彫地蔵尊、これは身代り地蔵である。時代は新しいもので昭和戦後の造立。第二次大戦の戦犯は現在のサンシャイン60のある場所にあった巣鴨プリズン(巣鴨監獄)に囚われ、千名余りが戦犯として死刑になった。その霊を弔う目的で護国寺が造立したものである。

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もうひとつの地蔵尊は堂宇に納まっている一言地蔵。これがなかなか面白い。小松未歩の『願い事一つだけ』ではないが、一つだけ願いを叶えてくれるという地蔵尊である。堂宇の内壁には、「お地蔵さんは寒がりです。足元だけに水を掛けてください 。」と書いてあった。素敵なお願いの方法である。

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地蔵の後ろの斜面に並んでいる庚申塔だが、まずは正徳2年(1712)9月造立の舟型光背型の庚申塔。面に対して大きな青面金剛像の上には日月、下には三猿が彫られており、「諸願成就」と刻まれている。

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次はシンプルな駒型の庚申塔。上部に日月、中央に種子(ウーン)が彫られ、下部に三猿が見られる。造立は延宝8年(1680)5月と比較的古いもの。昔は5基の庚申塔がまとめて並べられていたらしいが、現在は太子堂と鐘楼の間の斜面の植込みに点在している。

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その先には角柱型の庚申塔がある。形から推測すると、元は笠付だった可能性が高い。最上部には日月、その下に種子(ボローン)と「庚申」の文字。その下には小さめの文字で「講中」とある。造立は延享3年(1746)1月。台石には、資料によると、小石川大塚町、牛込などの地名があるようだ。

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分かりにくい場所にあったのが、上の庚申塔。角柱型で上部が丸みを帯びている。前面には日月と種子(ボローン)、「奉供養」「庚申塔」「諸願成就所」の文字があり、下部に二鶏と三猿がある。右面には「小石川御箪笥講中 敬白」とあるらしく、造立年は正徳6年(1716)5月。

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最後はとても彫りの見事な変わった形をしている。造立年は元禄2年(1689)3月。上部に日月、そして青面金剛像、その下に邪鬼、最下部に三猿が彫られているが、どれも極めて質が高い。左右面には一鶏がそれぞれある。護国寺の庚申塔はどれも個性的で、当時の江戸の人々の洒落っ気が出ているように思う。江戸時代の中でももっとも華やかで景気の良い時代のもので、少しアートに近づいている感じがする。

場所  文京区大塚5丁目40-1

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