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2020年9月12日 (土)

護国寺の石仏(1) (文京区大塚)

都内有数の寺院のひとつ護国寺、徳川五代綱吉が生母桂昌院の発願で開山した大型の寺院。江戸川橋から続くまっすぐな音羽通りは護国寺の参道である。交番脇から大きな仁王門をくぐる。護国寺の伽藍への入口は元禄10年(1697)の建立。表側左右に金剛力士像、右側が阿形(あぎょう)、左側が吽形(うんぎょう)。裏側には二天像という仏法を守る仏像が置かれている。

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真っ直ぐ進むと石段がある。これも河岸段丘。現在の道路と同じ筋に東から流れてくる音羽川、西から流れてくる弦巻川、この二つの河川の又にできた台地への上りである。実はこの階段を上る前に、右手にある音羽富士に登ると楽しい。東京に百を超える富士講富士の中でもよく保存されているもののひとつ。

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この石橋の向こうに音羽富士がある。橋はこっちと向こうを繋ぐもの、見方を変えるとこの世とあの世を繋いでいるとも考えられてきた。坂もそうであり、坂の上と坂の下は別世界と捉えられる。この橋の手前にある冨士道と書かれた自然石の裏に「庚申」の文字を見つけた。

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しかしおそらくは巣鴨の庚申塚のことである。その下に半分埋まっているのは「若者」という文字、その下を含めると「若者衆」ではないだろうか。音羽富士の高さは6mほどしかないが、沢山の石塔石仏が建てられていて、それを見ながら上っていくと結構な高さに達する。富士登山を楽しんで石段に戻る。

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その石段下に摩滅してボロボロになった庚申塔がある。角柱型で、正面には「庚申供養塔」、右面に「左江戸道」、裏面には「右いわつき道」とある。造立年は摩滅していて読み切れない。▢▢元年5月とあるが、元年で該当するのは、寛永元年(1624)、慶安元年(1648)、貞享元年(1684)、延享元年(1744)、文化元年(1804)、元治元年(1864)のうちのどれかだろう。

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石段を登り切って不老門(昭和13年建立)をくぐると広い境内に出る。正面には大きな本堂。この本堂(観音堂)も元禄10年(1697)に建立されたもの。関東大震災にも第二次世界大戦の空爆にも耐えた江戸の遺産である。伽藍は広く本堂の左右に広がる。左の方に進むと薬師堂がある。この薬師堂の建立は元禄4年(1691)で境内で最も古いものである。

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薬師堂の裏手にひっそりと佇む不思議な石塔がある。文京区指定有形民俗文化財の庚申塔で、造立年は天明5年(1785)。江戸時代も中期になるとあまり良い石材のものが無くなっていくのだが、これは材も石工も超一流である。台石にはびっしりと関係者の名前が彫られており、石工は安部勘助、細工人は安富与兵衛とある。このタイプの庚申塔は他に例を見ない。音羽下町講中によって造られたもので、塔の上部を三猿が支えている。

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正面側には二猿、裏に回ると一猿と唯の荒っぽい造りの支柱が一本。この支柱があまりに雑なので、前述の石工の考えはどうだったのだろうと気になった。台石に書かれた文言を見ていくと、どうもこれを造立する前に延宝8年(1680)の庚申塔があったらしい。それから105年後に音羽下町講中によってこの見事な庚申塔が再建された、というか新調されたのだろう。

場所  文京区大塚5丁目40-1

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