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2020年9月28日 (月)

専称院の石仏(板橋区仲町)

板橋区仲町(なかちょう)は東武東上線大山駅と中板橋駅の間の線路より南西側のエリア。仲町とつく地名はあちこちにあるが、ここも大きな地域の中心にあるという意味の仲町だろうか。仲町の昔の地名は山中である。人口が増加したのは戦後で、戦後の地名は由来が曖昧なものが多い。

川越街道の上板橋宿に出る道と下板橋宿に出る道の分岐点近くに江戸時代からあるのが専称院で、正式名称は亀嶋山地蔵寺専称院という。元は北区の荒川(現在の隅田川)沿いにあり、現在地に移ったのは昭和12年(1937)。ところがそれ以前の地図にも卍マークがある。実は江戸時代ここには乗蓮寺があり、廃寺後も香林庵という庵が残っていた。

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門前の堂宇には丸彫の地蔵がある。造立は安永8年(1779)7月で、台石正面には「法界施入三界万霊」、左面には「庚申講中拾五人」、そして右面には「武州豊嶋郡下板橋山中村己亥念仏子供中」と彫られている。庚申講中の建てた地蔵ということで庚申塔に含めても良いかもしれない。その昔、旧川越街道と子易道の分岐点にあったと伝えられるので、現在の大山駅東口の商店街の三井住友銀行とJTBがある向い辺りにあったもの。

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境内に入っていくと、塀沿いに石仏石塔が並べられている。その中で目立ったのが2基の地蔵菩薩坐像。右の地蔵の台石には「竪通三界  溺水亡霊解脱塔  横活九居」とある。そして他の面にはいくつもの寺の住職名がある。この右の地蔵の造立年は庚申の寛政12年(1800)11月。

左の地蔵の方はというと、台石正面には「慈眼視衆生  救世除水難宝塔  福聚海無量」とあり、左には「祐天大僧正蕉跡」、右には「或漂流巨海  竜魚諸鬼難  念波観音力  波浪不能没」と書かれている。こちらの地蔵の造立年は不詳である。しかしどちらも、専称寺が現在の北区にあった頃、荒川の洪水などで水難を受けて亡くなった人々への供養仏だということがわかる記述である。

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更に塀沿いにはゼニゴケで真っ白になった庚申塔がある。この庚申塔は中折れしているが、平成7年(1995)発刊の板橋区の資料の写真にはほとんどゼニゴケは付着していない。当時の写真も中折れ部分の青面金剛像の足などはきちんと残っているのでその後の風化が酷いのだろう。駒型の庚申塔で、造立年は享保5年(1720)12月、下板橋の銘がある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており、右面には「右ハ 小石川おふ内道」、左面には「左ハ 中仙道しむら道」と書かれている。おふ内というのは御府内のことであろう。

この庚申塔も門前脇の地蔵菩薩と同じ場所にあったものらしい。大山の駅前商店街は江戸時代から賑やかな街道でその北西の入口にあたる場所である。

場所  板橋区仲町44-1

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