宝泉寺の庚申塔(新宿区西早稲田)
早稲田大学キャンパスのかなりの面積を元々有していたのが宝泉寺。江戸時代の切絵図では穴八幡宮よりもずっと広い境内だったようだ。宝泉寺の草創は810年頃とも伝えられ、江戸時代には江戸で最初に富くじが行われた寺で、町民の人気が高かった。宝泉寺は高田稲荷、水稲荷の別当で、安永9年に富士講により造られた高田富士が大人気だった。この高田富士は現在のキャンパス内にあったが、水神社とともに大学の北側、面影橋近くの甘泉公園横に移っている。
現在の境内は江戸時代の数分の一しかないが、早稲田との関係は深いようだ。入口から坂道で上り、本堂の奥の墓所が一番標高が高い。蟹川が削った斜面に位置しているからである。本堂手前に大きな燈籠がある。これは文政10年(1827)2月に造られたもの。元は上野の寛永寺にあったもののようだ。
その手前の植込みの間に駒型の庚申塔がある。種子の下に「奉待庚申」とありその下に三猿、上部にはうっすらと日月、三猿の下には土で読みにくいが延宝8年(1680)1月の造立年が彫られていた。青面左右の文字は「現世安穏受福樂」「来将無為速成佛」とある。どうも江戸時代の人々は現世もよく、来世もよくと、なかなかの欲張りらしい。
場所 新宿区西早稲田1丁目1-2
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