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2020年10月23日 (金)

延命寺地蔵堂の石仏庚申(板橋区志村)

延命寺から北へ200mほど行ったところに境外墓所のある延命寺地蔵堂がある。今でこそ路地裏だが、関東大震災以前は川越街道の清水坂上に広がる街道沿いの墓所だった。江戸時代から明治にかけての地図を見ても延命寺は延命寺の場所、地蔵堂は地蔵堂の場所にあるので、江戸時代からこの位置関係だったようだ。

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判りにくい路地裏の入口を入ると左に2基の庚申塔が立っていた。植込みの間にあるので油断すると見逃してしまいそうである。左は板碑型の庚申塔で、延享4年(1747)2月の造立。「奉供養庚申待二世安楽」と中央に書かれ、その脇に「武州豊嶋郡堀ノ内村」とある。堀之内というとこの辺りではなじみが薄いが、明治22年に町村制が布かれた時に、王子村になったのが、豊島村、上十条村、下十条村、舟形村、堀之内村だった。現在でいうと北区堀船あたりになる。

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なぜ何キロも離れた堀之内村の庚申塔がここにあるかは不明。板碑型だが下部には三猿が彫られている。一方右の駒型庚申塔は、宝暦元年(1751)11月のもの。日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄で、右面には「武刕豊嶋郡志村 庚申講中」とあるように、地元のものである。この2基の庚申塔は以前は近所の路傍にあったものだが、2016年に墓所内に移された。

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地蔵堂脇にはずらりと石仏が並べられている。様々な尊像の石仏があり、ここで一つ一つ紹介はしないが、ゆっくりじっくり見ていくと面白い。残念ながら六地蔵の頭部が殆ど欠損しており、代わりに石が載せてある。舟型の六地蔵は安政から文久にかけて(1860ころ)のもので、墓所内その他数多くの石仏があり、江戸時代初期から後期まで実に多くのものがある。

場所  板橋区志村2丁目5-9

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