延命寺の石仏と板碑群(板橋区志村)
志村にある延命寺は、1524年戦国時代前期、小田原北条氏と扇谷上杉氏がこの地で戦った際に、志村城の落城や自分の子供の討死などで無常を想った見次権兵衛が自分の館を寺にしたのが始まりと言われる。江戸時代には徳川吉宗が鷹狩りの際に休憩所として使った。
山門が小さな桝形になっているのはたまたまなのか武士の館だったからなのかはわからないが、普通の寺院とは異なっていた。山門の中に入ると左に六地蔵が並んでいる。天明4年(1784)~寛政3年(1791)に造られた地蔵が並ぶ。反対の右に回り込むとそこには大量の板碑が並べられていた。
創建以前の板碑が多数あり、昭和61年に文化財登録された14基に加えて平成27年に7基を追加登録し、計21枚の板碑がある。板碑の詳細については、ここでは省略するが、建長4年(1252)、康永2年(1343)、貞和3年(1347)という古いものから永正13年(1516)までの紀年の板碑で、板碑の造立が盛んとなる14世紀初めから15世紀にかけてのものがまとまっている点で、極めて高い価値がある。それぞれは城山城址や天神前で明治以降に発掘されたものなどが多い。
本堂手前の堂宇には珍しい像形の石仏、「蛸薬師」として信仰をあつめた正保4年(1647)2月の庚申塔がある。舟形光背型で中央の尊像は薬師如来坐像、右側には「庚申待」と書かれている。この庚申塔は、皮膚に出来るイボとりに効験があると信じられて信仰されてきたが、実は板橋区内最古の庚申石仏とされている。
場所 板橋区志村1丁目21-22
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