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2020年10月 4日 (日)

安養院の石仏(1) (板橋区東新町)

旧地名台宿の長命寺から800mほど西に行くと丁字路があり安養院がある。この角には昭和初期に上板橋村役場があった。明治22年の町村制施行にあたり上板橋村が誕生、それから昭和2年までは安養院の境内と建物を借りて村役場としていたが、昭和に入ってようやく庁舎が出来たという。その大家さんである安養院の創建は不詳、しかしながら言い伝えでは鎌倉幕府の執権北条時頼による創建らしいので、1250年頃かと思われる。

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境内に入ると駐車場と本堂の間にも多くの石仏がある。3mはあろうかという宝篋印塔の両脇にある地蔵菩薩も年代物。左の合掌した丸彫地蔵菩薩立像は元文4年(1739)2月の造立で、台石には「上之根講中」とある。上之根は北豊嶋郡時代までの字名で、現在の東新町がその地域にあたる。「根」は土地の意で、台地の上の土地で上ノ根と呼んだというのが由来。右の地蔵菩薩は延享元年(1744)7月の造立で、台石には「上根 新田 講中」とあるので、石神井川沿いの農家の人々によるものか。

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本堂周辺の石仏は新しいものと墓石が多いのでそのまま裏手の台上の墓所に向かうと、墓所入口の六地蔵の後ろに沢山の石仏がある。右側の竹藪脇にあるのが4基の石仏。 左端は破損と摩滅でいささか悲惨な様子だが、享保19年(1734)11月の地蔵菩薩立像。台石には「上板橋中内念仏講中 同行拾八人」とあり、脇には「右ハ かわごえ道」「左ハ たなん道」という道標になっている。たなん道というの何を指すのかは分からない。

大きな石塔は安永4年(1776)2月の供養塔で、正面と右面は聖観音、左面は如意輪観音が描かれ、正面には「奉納四國供養佛」とある。その右にある小さめの角柱型の石塔も供養塔で、大乗妙典六十六部供養塔とある。造立年は寛保3年(1743)9月。

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奥にあるのが笠付角柱型の庚申塔。造立年は書かれていない。正面には、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれ、道標も兼ねていて、右面には「是より 右 か巴こへ道」、左面には「是より ひだり ふじみち」とある。か巴こへ道とは甲斐越え道の意だろうか。青梅街道柳沢峠か甲州街道笹子峠越えの街道に繋がっていたのかもしれない。ふじみちは富士参詣への道で、練馬板橋にはいくつもあり、先で大山街道や甲州街道へ繋がっていたのだろう。また、「武▢豊嶋郡上板橋中内出施主 石川五郎兵衛 同行十人」の銘がある。資料によると、元あった場所は上板橋1丁目だというから、川越街道沿いだったのではないだろうか。

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墓所への道を挟んで面白い地蔵がある。造立年は文化13年(1816)仲夏初雨後穀日とあるので5月の梅雨入り時期だろう。この地蔵菩薩は顔が人間ぽくて面白い。この地蔵菩薩より先に多くの石仏石塔があり、別述としたい。

場所  板橋区東新町2丁目30-23

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