常楽院の石仏(板橋区前野町)
常楽院は真言宗豊山派の寺院。開山は正保・慶安年間(1644~1652)とされる。墓所には古い板碑があるようだが、今回は拝観できなかった。正式名称は熊野さん常楽院法界寺というが、常楽院で通っている。境内は弥生時代の前野町遺跡の場所で弥生時代の集落跡らしい。弥生時代末期から古墳時代にかけての土師器が出土している。
門前には左右に多数の石仏が並べられている。向かって右側は石仏で、左側のほとんどが墓石の石仏。全体で数十基はあるだろう。こうして並べてみると壮観である。
右の端にあるのが舟型光背型の如意輪観世音菩薩像。延宝7年(1679)造立で、光背に「延宝七己未年三月廿三日 集菩提也」と彫られている。
もう一つの如意輪観世音菩薩はいささかスリムな雰囲気がある舟型光背型の石仏。造立年は享保2年(1717)で、こちらは「享保二酉大正月廿七日 智清信女霊位」とあるのでもともとは墓石だろう。
上の写真の右側は舟形光背型の釈迦如来立像。造立年は寛文7年(1667)12月である。もうひとつは地蔵菩薩が二つ並んで彫られているもので、こちらは明和8年(1771)10月の造立。「智禅妙宗信女 施主 村田忠左衛門妻宥戒尼」とあるのでこれも墓石だろうか。
最後は珍しい笠をかぶった傘地蔵。分類としては笠懸地蔵らしい。台石の正面には「三界万霊」とある。造立年は安永5年(1776)2月。別名「延命鶴亀地蔵」とも呼ばれるようだが、由来や詳細は不明である。
江戸時代の墓石にはいろいろな造形があって実に面白い。尊像もさまざまで、「二世安楽」という言葉に至ってはこの世もあの世も良い生活がしたいという江戸時代の人々の豊かな生活の中での願いが想像できる。食べるのに必死であればこんな石仏を造立して願を掛けるなどはしない。もしかしたら現代よりもずっと人々は幸福に生きていた可能性が高いのではないだろうか。
場所 板橋区前野町4丁目20-8
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