富士大山道の道標と庚申塔(板橋区志村)
旧中山道の清水坂の坂上には富士大山道の道標と庚申塔が立っている。この場所で中山道から分岐した富士大山道は、中台を経て富士街道に繋がっていたようだが、実際はどのルートで埼玉方面の信者講中が歩いたのかは知らない。
右の大きな角柱が庚申塔、左の細い方が道標である。古さから言うと道標の方がかなり古い。寛政4年(1792)の造立である。「是より大山道 幷(ならびに)ねりま川こへ(川越)みち」と書かれている。ということは中台を通って川越街道に出合い、その先で富士街道に入ったのだろうか。
右の角柱型庚申塔は、万延元年(1860)9月の造立。上部に日月、正面に「庚申塔」の大きな文字があり、台石に三猿があるようだが埋まっていた。「武州豊嶋郡志村 是より 富士山 大山道」の銘がある。また、「練馬江一里 柳沢江四里 府中江七里」とある。朝、ここを立つと府中には夕方着く計算になる。今は志村坂上から府中は電車でほぼ1時間である。
場所 板橋区志村2丁目7-1
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