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2020年11月23日 (月)

沢蔵司稲荷の庚申塔(文京区小石川)

伝通院山門から東に下る坂は善光寺坂。ここは谷端川(小石川本流)と神田川に挟まれた舌状台地の先端にあたる。その為善通寺坂だけでなく、六角坂堀坂富坂などの多くの坂がある。そしてこの舌状台地は伝通院を中心とした多くの子院、学寮が建ち並んでいた。僧が仏教を学ぶ学寮の僧の中に沢蔵司という極めて優秀な修行僧がいた。この沢蔵司が伝通院の和尚の夢枕に立ち、「余は千代田城の内の稲荷大明神である。かねて浄土宗の勉学をしたいと思い、それがかなったので、これから元の神に帰るが、これからも伝通院を守護する。」と告げたという。

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そこで和尚は境内に沢蔵司稲荷を祀り慈眼院を別当寺とした。それがこの慈眼院沢蔵司稲荷の始まりである。また、『東京名所図会』には、「東裏の崖下に狐の棲む洞穴あり」とある。今も窪地があって稲荷が祀られているという。

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沢蔵司稲荷の前にムクノキの巨樹がある。これには沢蔵司が宿っているという伝説がある。道路はこのムクノキを避けて通っている。伝通院の門前にあるそば屋に沢蔵司はよく蕎麦を食べに行ったという。その日は必ず売上の籠の中に木の葉が入っていたという言い伝えもあって面白い。ムクノキは推定樹齢400年の木だが空襲で上部が焼けたもののまだ元気である。

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手水鉢の裏手に均整の取れた石仏がある。聖観音菩薩立像だが、「奉供養庚申講  二世安楽所」とあるので庚申塔である。造立年は天和3年(1683)5月だが、綺麗な保存状態である。

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その近くに面白い顔の地蔵菩薩立像があった。左下に寛文9年(1669)10月の年紀がある。地蔵の上には穴が開いて貫通いている。不思議な地蔵菩薩である。その他の文字は殆ど読めないが、この顔といい、上部の貫通穴といい、どういうものなのか興味が湧く。

場所  文京区小石川3丁目17-2

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