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2020年11月 5日 (木)

松月院大堂の石仏(2) (板橋区赤塚)

松月院大堂の石仏の後半。石段が二つあるが、左の石段が大堂への参道、右の石段は八幡神社への参道である。大堂と境内を共有するこの八幡神社はかつての下赤塚村の鎮守のひとつで、創建年代不詳ながら大堂と時代は変わらず南北朝時代かそれ以前かと思われる。この境内は館城かと想像したが、どうも古墳説もあるようだ。

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石段脇の石仏群は並んだ3基の庚申塔の先には一段大きな丸彫の地蔵がある。この地蔵菩薩像の造立年は元禄6年(1693)2月。台石には、「為念仏供養平等利益下赤塚村」とある。この地蔵は通称「疣(いぼ)取りの唐辛子地蔵」と言われて信仰を集めたらしい。なぜ唐辛子なのかはわからない。隣りの舟型光背型の地蔵は、寛文4年(1664)3月と古いもの。一番左の小さな舟型地蔵菩薩像は時代が判らない。「葵天下赤塚村本願禅真諸衆敬」とあるので、幕府領だった時代のものかもしれない。

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その先、上段の石段下にある板碑型の大きな石塔は文字を読むと「奉造立庚申供養石塔現世安穏後生善處者也」とあり庚申塔である。年代は寛文4年(1664)仲春と古い。下部には蓮華が描かれており、優美さがある。上部は少し欠損しているが高さは132㎝もあり大きなものである。

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その先の階段脇両側には六面幢が対に立っている。六面幢そのものも多くないが対になっているのは極めて珍しい。造立年は延宝7年(1679)6月とある。「奉寄進阿弥陀堂 春日伊兵衛」とあるので、この時にはまだ大きな阿弥陀堂が立っていたのだろうか。

場所  板橋区赤塚6丁目40-3

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